第1節
神のエネルゲイア
オリゲネスは、『諸原理について』第1巻1章5~6で、宇宙万物の造り主である神の本性を、私たち人間は、把握することがまったく出来ないが、しかしそれでも神について何がしかを認識することが出来ると言い、そのことを太陽の光の本性とそれから発する光線との比喩を借りて、次のように説明している。
(1.1.5)「神について何かしら物体的なものを暗示する(聖書の言葉の)意味をすべて、私たちの才能の及ぶかぎり退けたのであるから、私たちは、神がまことに把握し難く、測り難い御者であると主張する。実際、神について私たちが考えたり認識したりできるものが何であっても、神は、私たちが考えているもの以上にはるかに優れた御者であると信じられなければならない。・・・(中略)・・・ いかに人間の精神が純粋で澄んだものであろうとも、人間の精神の眼差しでは、神の本性は、捉えられもせず、見られもしないのである」。
(1.1.6)「・・・私たちの目は、ときとして、太陽の実体である光の本性を見ることはできない。しかし窓あるいは隙間を通して注がれて来るその光の輝きやその光線を見て、そこから物体的な光の火口と源泉が、どれほどの大きさであるかを考察することができる。同様に、神の摂理の諸々の働きとこの宇宙万物の巧みさはまさに、神ご自身の実体と本性とに比べれば、神の本性の光のようなものである。したがって私たちの精神は、それ自身では神ご自身をあるがままに見ることができないのであるから、(神の)諸々の働きの美しさと諸々の被造物の麗しさとから、私たちは、宇宙万物の生みの親である神を認識するのである。・・・」(1)。
このようにオリゲネスは、人間の精神は、神の本性を認識することはできないとしても、それ自体は見ることのできない太陽の光りの本性から発する輝きを見て、その源泉である光について何がしかを推し量り、知ることができるように、「神の摂理の諸々の働き」やその美しさ、あるいは、宇宙万物の巧みさや麗しさを通して、神について「ある種の認識」(2)、すなわち神の「何がしか」の認識を得ることができると考えているのである(3)。したがって私たちは、神認識の第二の問いに関しては、オリゲネスの側から、解答を「半ば」得ることができたと言ってよい。すなわちオリゲネスによれば、人間の精神は、神の「何がしか」を、神の諸々の働きや被造物の美しさを通して知ることができるのである。あるいは少なくともオリゲネスが、宇宙万物の巧みさや麗しさとともに、あるいはその内に見出だされる「神の摂理の諸々の働き」や「(神の)諸々の働き」を認識することができると考えているのは確実である。
また、オリゲネスは、ここで、その本性において認識不可能な神について知り得る事柄、すなわち神の「何がしか」を具体的にそれとして指示していない。しかし既に本論文の前章の末尾で、オリゲネスが神の「何がしか」の認識が可能であると考えていることの一つの証拠として引用した『同書』第1巻3の1では、「何らかの仕方で摂理が存在すると考えている人は誰でも」、神についての啓示の書である『聖書』に依らずとも、目に見える被造物を通して、自然的に、「宇宙万物を創造し、秩序立てられた生まれざる神が存在することを承認し、神が宇宙万物の父であることを認めている」とオリゲネスが述べていることからわかるように、いま私た 「宇宙万物の生みの親としての神」、「摂理の諸々の働き」をなす神、宇宙万物の巧みさや麗しさを造り出す神、等の神についての一般的知知を考ているように思われる(4)。
しかしオリゲネスの思想において、神の働きである「エネルゲイア」は、神の「何がしか」の認識に深く関与するものであることが示されたのであるが、それは、ただ神認識の場面においてだけ、重要な役割を演じるものと、オリゲネスは考えているのではない。それは、更に、神認識の場面を越えて、はるかに広い宇宙論的広がりのもとに捉えられているのである。オリゲネスは、『諸原理について』第1巻2章の12で、知恵としての神の子、いわゆるキリストは、いかなる方であるかを論じながら、次のように述べている。
「知恵とは、『神のエネルゲイア(すなわちラテン語で(inoperatio)のくもりない鏡である』(Sap.7.26)。したがって神の力の働きとは何であるかが、まず理解されなければならない。すなわちそれは、言ってみれば、一種の活動性である。おん父は、創造したり、摂理したり、裁いたり、個々のものをおのおのそのしかるべき時に配置したり管理したりするとき、その活動性によって働かれるのである」(5)。
このように神のエネルゲイアとは、神の力の活動性であって、それは、宇宙万物の創造と摂理そして管理にかかわるものであることが、オリゲネスによって言明されていることがわかる。つまり神は、その力動的なエネルゲイアのうちに、全被造物とその創造の始めから、関わりを持つ御者として考えられているのである(6)。