写本

 この『過越祭講話』の写本の幾つかは、当初、ヒッポリュトスの名前で流布されていた。ところが時を経るごとにそれらの写本のあるものは、多くの羊皮紙の写本と同じ運命をたどり、解体され文字をかき消されて、別の写本の用紙として再利用されてしまい、行間にわずかな痕跡を残すだけになった。また、いつのまにかクリュソストモスの膨大な作品群の中に紛れ込んでしまったものもある。そしてクリュソストモスの作品群に紛れ込んだ本講話の写本の方は、クリュソストモス全集の印刷本を刊行した十七世紀の英国人サヴィル(Saville)や十八世紀のフランス人モントフォソン(Montfauçon)によって、様式や話法その他の点でクリュソストモスのその他の真作と異なっていることから、その真作成を疑われ偽書として取り扱われはしたが、本講話の立ち入った研究が行なわれることはなく、そのまま放置されてしまった。本講話が人々の注目を浴びたのは二十世紀の前半に至ってからのことである。たまたま、このクリュソストモス全集に収められていた本講話を読んでいたフランスのイエス会士シャルル・マルタン師は、本講話の二つの文章が、ヒッポリュトスの名で伝わるある詞華集に引用されていることを発見し、この偽リュソストモスの講話が、実はヒッポリュトスの作品ではないかという論文を発表したのである。そして彼は、ビザンツ学者アルベルト・エルハルトの協力を得て、この作品がクリュソストモスのものではなく、三世紀の聖人、ローマの聖ヒッポリュトス殉教者司祭のものであるという推定した。ところが、本講話の校訂者P.ノータンが述べるところによると、ヒッポリュトスの現存する数々の作品とこの講話とを詳細に比較してみると、この講話は確かに、ヒッポリュトスの『聖なるパスカについて』という論考に基づき、そこから多くの要素を汲み取っていると考えられるが、ヒッポリュトスの真作であるとはいいがたい、ということが判明するのである。しかし本講話の真の作者が誰であれ、この講話が、やはり二十世紀半ばに発見されたオリゲネスの『パスカについて』という論考と共に、パスカを取り扱う古代キリスト教の文献の中で、まとまった形で現存する数少ない貴重な文献の一つであることには変わりはない。

 P.ノータンによると、本講話すなわち伝聖ヒッポリュトスの『過越祭講話』のおもな写本は、次に挙げる通りである。

(1)Le Cryptoferratensis B.a.LV(= C)

これは、イタリアのグロッタフェッラータ(Grottaferrata)写本群に含まれている。作成年代は、ロッチ(Rocchi)によると、その書体から紀元後八世紀ないしは九世紀であると考えられている。作成場所は、当時、幾多のギリシア人修道院が栄えたイタリアとも、あるいは、コンスタンチノープルとも想定される。しかしどちらであるかは定かでない。この写本は、この『過越祭講話』をヒュッポリュトスの手になるものとしている。

(2)Le Codex 6 du monastere des Vlatees a Salonique,fins IXes

(= V):これは、コンスタンチノープル大司教聖ヨハネ・クリュソストモスの講話として伝えられた。この写本集の冒頭には、「小トランペット」という表題がついていることから、この表題が、ユダヤ人たちのパスカの祭りで吹奏される銀のトランペットを聞きに行かないようにと戒めるクリュソストモスの過越祭講話「トランペット」にあやかって、付けられたものであることがわかる。

(3)Le Baroccianus gr.212,XVIes.(= B)

これは、オックスフォードのボドレイアーナ写本群に含まれている。作成年代は1572年。制作者はベネチアに幽閉されたギシリア教会の司教マルグニオスのマヌエロス(Manouhlo.j tou/ Margouni,ou)である。

(4)Le Marcianus gr.App.II 59,XVIes.(= M)

これは、ベニスのナニアヌス写本群に収録されている。これは、その脇付けから、ヨアサフ(Joasaph)なる一修道士によって1539年に書き写されたものであることがわかる。さらにその写本には、その膨大な欄外注(= M*)が書き残されていて、その筆跡から、司教マルグニオスのマヌエルが、コンスタンチノープルで司教に叙階された1583年以後に、その写本を検討したことも判明している。

(4)L'editio de Saville,1612 (= Sa)

英国人サヴィルが、クルソストモス全集の中の、偽クリュソストモスの講話として初めて出版したもの。これは次に、モントフォソンのクリュソストモス全集(Paris,1728)に、若干の修正を施されて収録され、このモントフォソン版が、今度はミーニュに収録されることになった。

(5)L'Ottobonianus gr.101,XVIIes.(= O)

これは、クリュソストモスの講話として、バチカン写本に含まれている。

(6)Le codex 318 du monastere de Vatopedi au mont Athos,XVIIes.

この写本は、その登録名にある通り、聖山アトスのヴァトペディオス修道院に、クリュソストモスの作品として所蔵されている。

 

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