講話作者
本講話の作者としては、ローマの殉教者聖ヒッポリュトスとコンスタンティノープル大司教聖ヨハネ・クリュソストモスの名が、写本によって知られている。しかし本講話の校訂者P.ノータンが述べているように、この講話が、文体や話法から見て、クリュソストモスのものではないことは確実である。そこで以下では、この講話とヒッポリュトスとの関係を簡単に検討してみることにしたい。
クリュソストモス全集に収録されたこの講話の写本を除く、すべての古代写本は、この講話をヒッポリュトスに帰している。それらの写本は次に記す通り。
1. Le codex Crypt.B. a.LV,VIIIe où IXes.
2. Le florilège des Actes du concile du Tatran de 649.
3. Le Florilegium Edessenum anonymum,conservé en Syrien anterieur à 562.
これらの写本の年代を見ると、本講話は早くとも六世紀には、ヒュポリュトスの作品として流布していたことになる。しかしヒッポリュトスの現存する真性のギリシア語作品、すなわち、『反キリストについて』『ヤコブの祝福注解』『ダニエル書注解』および『異端反駁』の最後の二巻と本講話とを比較すると、クリュソストモスの場合と同様、本講話がヒュポリュトス自身の手になる講話ではないことがわかる。両者の相違点を幾つかあげてみると、次のようになる。
1 本講話における、反アリウス主義に彩られたキリストの神性の執拗の強調(45)
2 キリストを端的に神と呼び、詠唱をキリストにのみ向けていること(63)
3 「聖なる」
4 熱烈な信仰に駆られて説教壇の上から身を乗り出し、絶唱する説教者の、あらんかぎりの修飾語句と同語反復とに満ちあふれた大言壮語と言っても一向に差し支えのない大演説
これらは、アリウス主義の誤謬を知らなかったヒュポリュトスには見出だされない特徴である。したがって、本講話はヒュポリュトス自身の手になる作品であるということはできない。これは、後のある講話作家・説教者が、過越祭の演説のために、ヒュッポリュトスの作品、おそらくは、いまは失われてわずかな断片しか現存しない彼の『聖なるパスカについて』の論考から着想を得て、それに基づきながら新たに認め、ヒッポリュトスへの敬意と自分の説教の保証のために、ヒッポリュトスの名を冠したものであろう。