作成年代

 本講話の作成年代は比較的容易に推定できる。講話作者の項目のところで、私がP.ノータンの解説を拠り所にしつつ述べたように、本講話は、キリストの神性を強調する反アリウス主義に特徴的な措辞や用語で彩られている。したがって本講話の作成年代の上限は、アリウス主義が公に疑問視され、第一回公会議(第一ニケア公会議)によって断罪された、四世紀前半(325年)だということができる。

 また、本講話の、たとえば47に見出だされる文章、すなわち、「(イエスの)権威ある霊が人間の身体によって受け容れらたのであります。神的な霊は、神のみ旨に従って、身体と結合する」という文章は、四世紀後半(375年ごろ)に聖ダマスス教皇(在位366-384)によって断罪されたラオディケアのアポリナリスのキリスト受肉論に似ている。したがって本講話の作成年代の下限は、アポリナリス主義が問題視された四世紀後半ということになる。

ゆえに、本講話の作成年代は四世紀半ばごろと推定できる。

 なお、ベネディクト会のボット師によると、聖ダマスス教皇は、聖ヒッポリュトス司祭が聖ポンティアヌス教皇(在位231-235)と一時対立していたことを知っていた。

 

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