資料

 本講話が、上述の聖ヒッポリュトスの『聖なる過越について』の論考とかなり作風を異にするとはいえ、幾つかの点で共通した解釈を持っている。このことから、本講話はヒッポリュトスの論考に基づいて作成されたものと想定される。もちろん本講話の作者が、ヒッポリュトスの名を挙げて彼の解釈を採用した証拠は、本講話の中には見出だされないが、それをほのめかす内的資料や外的資料は幾つかある。

 先ず、内的資料としては、次のものが指摘される。本講話の作者は、その序文で次のように述べて、自分のパスカ解釈が、彼に先行する人たち、ないしは、同時代の人たちの解釈と異なるものでないことを表明している。

 「そういうわけで私たちは、「数々の新しいものと古いもの」への手ほどきを、神聖な知識をもって受けた人たちと軌を一にして、まあ手短でありますが、パスカの荘厳な祭りが次のようなものであることを見出だしたのであります」(4)。

 また、彼が華やかに飾り立てられた序文を語り終わり、本論に入ると、彼の論調は、それまでの淀みない熱狂的な雄弁を随所に残しながらも、ところによっては聖書の語句に関して、たんに既成の解釈を機械的に繰り返すだけの、余りにも断片的で、余りにも短絡的な報告に成り下がっている(esp.18-42)。これはたぶん、限られた時間で『出エジプト記』の該当箇所(12,1-15;43-47;48b-49)をひと通り解説しなければならなかったという焦りと、感動的ではあるが末節に及ぶ冗長な講話に聴衆は付いて来ないだろうという不安とによって説明されるだろう。しかし新たな解釈には、聴衆を納得させるだけのそれなりに長い解説が付きものである。そうであれば、彼がここで手短に話を進めることが許された背景には、聴衆も一度は耳にしたことのある、あるいはそうでなくとも、講話の後でいくらでも弁明のできる権威ある既成の解釈が伝承として存在していたということになるのではないだろうか。

 次に外的資料についていえば、七世紀の編者不明の『過越祭年代記』(クロニコン・パスカーレ)に引用されたヒッポリュトスの『聖なるパスカについて』の断片を挙げることができる。そこではこう言われている。

 「再び同じ人物(ヒッポリュトス)は、『聖なるパスカについて』の論考の第一巻で次のように述べた。彼は、最初にも最後にも嘘をおつきになるようなお方ではありませんでしたから、次のことは明らかである。すなわち、「私たちはもはやパスカを食べない」(Cf.Lc.22,16)と、かつてあらかじめ言われたお方が、パスカの前に食事をお取りにならなかったのは当然である。彼は、パスカを食べたのではなく、パスカで[を]苦しまれたのだ。なぜならその食事の時はまだ来ていなかったのだから」。

 この断片によって、ヒッポリュトスが、いわゆる主イエスの最後の晩餐がパスカの食事であることを否定して、このパスカをその翌日のイエスのご受難に結び付けていることがわかる。ヒッポリュトスは、その恩師エイレナイオスと共に、パスカをパトス(ご受難)解釈と解釈する立場に立っている。これとほぼ同じ見解が、多少言い回しを異にするが、本講話の49にも見出だされるのである。その箇所を少しく引用すると、

 「イエスが私たちのために望まれたパスカ、それはご受難を忍ばれることでありました。・・・ ですからイエスは、食べることを望まれたと申しますよりも、苦しむことを望まれました」。

 また、P.ノータンによると、本講話の作者は、ヒッポリュトスの他の現存する作品に述べられたのと同じ解釈を幾つか採用している。それらのうちから、顕著なものを幾らか列挙してみると、次のようなものがある。

1 38:キリストが十字架の上から両手を延ばして教会を護ること。

また、その動作が、雛を翼でかばう親鳥の動作になぞらえられ

ていること。

2 51:罪の象徴としての無花果の葉。

3 53:洗礼と感謝の祭儀の象徴としての、脇腹から流れ出たおん血と

おん水。

3 57:キリストの身体の中に罪を探しだそうとする獣。

4 61:栄光のキリストの昇天と天使たちの会話。

5 62:洗礼の香油と賢いおとめの油。

 ここに挙げた本講話とヒッポリュトスの現存する諸作品との間の解釈の共通性から、私たちは、どうやら本講話の第一資料が、他ならぬこのヒッポリュトスの『聖なるパスカについて』という論考だったろうと想定することができるのである。

 ところで、本講話の校訂者P.ノータンによると、パスカを規定する『出エジプト記』第12章を扱うある二つの論考、すなわち、伝オリゲネスの論考とブレスチアのガウデンスの一連の論考も、幾つかの点で本講話と解釈を共有している。もちろん、伝オリゲネスの論考とガウデンスの論考との間には、また本講話との間には、やはり言葉や表現の点また内容の点でもかなりの相違が見られることから、それら三者の間に直接の相互依存関係を立てることはできない。しかし、それら三者に見出だされる幾つかの解釈の実質的な共通性を土台にして、本講話と伝オリゲネスおよびガウデンスの論考を突き合わせながら、わずかな断片しか残されないヒッポリュトスの『聖なるパスカについて』の構成と内容をあるていど再構成することができるのである。このことについて簡単に述べておくことにする。

 本講話がその内容によって、旧約のパスカの予型論的解釈と新約のパスカ=受難の解釈の二部に分けられるとすれば、ヒッポリュトスの論考も同様の二部構成であったと考えられる。また、ヒッポリュトスの論考と本講話との間に見出だされる共通点は、その大部分が本講話の第二部の新約のパスカ解釈に集中している。他方、伝オリゲネスの論考とガウデンスの論考および本講話との間に見出だされる共通点は、本講話の第一部の旧約のパスカ規定をめぐる解釈にかかわっている。このようにして、これらの三つの作品が提供する共通資料によって、ヒッポリュトスの論考の構成と大まかな内容とを不確かではあるがうかがい知ることができるのである。また、ヒッポリュトスの『聖なるパスカについて』を再構成するうえで、これとまったく対照的な内容と構成とを持つオリゲネスの真作『過越について』という論考を参考することは有益だろう。

 なお、注目すべきことに、ほぼ全体の残るブレスチアのガウデンス論考では、その第一部でヒッポリュトスの旧約のパスカ規定の解釈を第一資料として参照しているように思われるが、彼はその第二部では、ヒッポリュトスが提示する「パスカ=ご受難」解釈を採用していない。ガウデンスは、パスカが元来、移行を意味するヘブライ語に由来する言葉だと見做して、パスカをギリシア語のパトス(受難)から派生させようとする奇妙な試みを暗に退けているのである。こう言われている。

 「主のパスカ、それは主の移行である」と彼は言った。

 ガウデンスは、古くから著名なユダヤ人――ヨセフス・フラヴィウス、ピロン、アクィラ――の中に見られ、またオリゲネスによっても採用されたヘブライ語本来の「パスカ=過越」解釈の伝承に立ってものを言っているのである。

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