朱門岩夫

伝聖ヒッポリュトス過越祭講話研究

1994年12月8日作成

 

永遠の扉よ、あがれ

栄光の王が入る

Pseudo-Hippolyte

Homelies Paschales, §61

最終更新日18/12/08


 

緒言

 私が訳出した『過越祭講話』は、編集者不明の七世紀の作品『過越祭年代記(クロニコン・パスカーレ)』の中にわずかな引用だけが残る、三世紀前半のローマの聖ヒッポリュトス司祭殉教者の『聖なるパスカについて』という論考の流れを汲む、いやむしろそれに基づき、それから着想を得た四世紀半ばのある講話作者の作品である。本講話は、あるときには聖ヒッポリュトスの作品として、またあるときには四世紀後半のコンスタンティノープル大司教聖ヨハネ・クリュソストモスの作品として伝わるという数奇な運命をたどり、二十世紀初頭に至るまで注目を集めることがなかった。本講話は、作者不明の作品、ヒッポリュトスの偽書ということもあって、一見するとあまり資料価値がなさそうに見える。特に本講話が、論争的な要素も、ある特定の時代背景を連想させる要素も見当らないので、なおのことそうである。しかし本講話が、その全体がほぼ完全な形で残るパスカ(過越の祭り)についての文献としては、最古の作品の一つであり、パスカについての古代キリスト教の貴重な信仰の遺産であることは疑いない。また、いうまでもなく本講話は、いまは失われて現存しないヒッポリュトスのパスカについての論考の概要をおぼろげながらにせよしのばせてくれる貴重な文献でもある。

 しかし本講話は、これまた二十世紀半ばにエジプトのとある古代採石場跡でたまたま発見された司祭オリゲネスの『過越について』という論考と比較されるとき、格別の異彩を放つように思われる。1950年に本講話の校訂版を世に出したP.ノータンは、1979年にオリゲネスの『過越について』の校訂版を公刊した。彼は、その序文で述べているように、両作品を読んでみると、両作品がみとごな対照をなして、互いに対立し合い互いに補い合っていることがわかるのである。

 たとえば、本講話の作者は、ヒッポリュトスのパスカの論考に従って旧約のパスカを、キリストのパトス、すなわち、ご受難の予型と解釈して、その観点からキリストの救いの営みを解説しようとしている。それに対してオリゲネスは、上述の論考の冒頭で、パスカの正しい語源を知らずに、パスカをパトスと解釈する大多数のキリスト者たちの軽率さを嘆き、彼らの無知を諭しながら、ヘブライ人たちの伝統的解釈にのっとって、パスカはプァス、すなわち、文字どおりの過越を意味すると主張して、この観点からキリストの救いの営みを論じようとしている。また、両作品に見られる論の展開は、基本的に同じ筋立に従っていて、旧約のパスカ規定を予型論的に解釈する第一部と新約のパスカを論じる第二部とからなる二部構成になっている。さらに、パスカの解釈においては互いに対立するとはいえ、両作品は、その他の点では幾つかの共通する内容を持っている。たとえば、両作品ともその第一部で、『出エジプト記』の「お前たちの腰に帯をしめなければならない」(12,11)の規定を性的欲求の抑止と解釈する点では同じであり、またその第二部で、死に打ち勝って天に昇る雄々しい栄光のキリストに、『詩編』(27,7-10)を適応している点では共通しているのである。

 私たちは、本講話とその他の幾つかの傍証とからヒッポリュトスの同名の論考の構成と内容とをおぼろげながらにしか推測できなかった。しかし本講話とオリゲネスのこれまた同名の論考とを合わせ読むことによって、ヒッポリュトスの論考をなおいっそう確実に把握することができるに違いない。オリゲネスが、ヒッポリュトスの論考を読んでいたという確かな外的証拠はないけれども、両者とも同時代人であり、物資や人員の移送が思いの外頻繁だったローマ帝国内の都市――前者はパレスチナのカイサレイア、後者はローマ――に居住していた。

 伝聖ヒッポリュトスの『過越祭講話』のこの拙い訳は、オリゲネスの『過越について』の拙訳(1993)の付録としてなされたものである。

 

 


 

目次

 

2.写本

3.講話作者

4.作成年代

5.構成

6.資料

 

注は割愛いたしました。