諸々の衛星的なテーマ

オリゲネスはその諸々の講話の中で、ヨシュアの中心的なテーマの回りに一連の附属の諸々の衛星的なテーマを展開する。もちろん彼は、それらの創造者ではない。それらのテーマの幾つかには、先行者たちが見出される。この世界の形象であるエリコの陥落の象徴体系に関しては、もっと古い伝承があったにちがいない[1]。既にヨルダン川の過越は、諸々のグノーシス主義的な解釈を惹起していた。ヨルダン川は、オケアノスの川と混同され、この世界の果ての神話的な川になった。「下方へと流れ、イスラエルの子らがエジプトから脱出すること――すなわち、下方の混乱から身を引き上げること――を妨げるこの川の流れを、ヨシュアはその源泉まで遡らせ、上方へと逆流させていた[2]」。それはつまり、ヨシュアが霊的な誕生の原理を与えていたということである[3]

しかし、オリゲネス以前の最もよく証拠立てられたテーマは、遊女ラハブのテーマである[4]。彼女は、ヨシュアの使者たちを迎え入れ、エリコの王から彼らを救った(Jos.2)。ラハブ――新約は、彼女の信仰(He.11,31)と彼女の諸々の業(Jc.2,25)のゆえに、既に彼女を太祖のたちの地位に置いていた――は、彼女と彼女の家のための保護のしるしとして、自分の窓に緋色の紐を吊した。「そのことは、主の血が、神を信じ、神に希望を置くすべての人たちを贖うにちがいないということを宣言している」と、ローマのクレメンスの手紙は言っている(1Clem.12)。ローマのクレメンスは、諸々の比喩的解釈にほとんど傾かなかったが、緋色の紐の象徴体系――ラハブは、キリストの血によって贖われた異邦人のたちの形象だったということ――は、既に、広く普及した伝統の一部をなしていたと考えることは許される。そのテーマは、ユスティノスの中に見出される:ラハブの緋色の紐によって、「すべての諸国民の中にいるかつての買春者たちと不正者たちは救われる――彼らが自分たちの諸々の罪の赦しを得た後、もはや罪を犯さないなら」(Dial.111,4)。これによってラハブの家を、教会――ヨシュアの使者たちを迎え入れ、緋色のしるしによって救われ贖われた異教の諸国民が集まる教会――の形象にすることは、どれほど容易になったか、分かる。この象徴体系は、オリゲネスの象徴体系にもなるが、既にエイレナイオスの中でも言外に示唆されている。エイレナイオスは言う:

ラハブは彼女の家にイエスの使者たちを迎え入れた。すなわち、エイレナイオスによれば、彼女は、三位の三つの位格を迎え入れた。したがって彼女は、福音的な使信の本質を信じた。そして、過越の象徴である緋色のしるしによって、キリストの血の贖罪的な価値を信じた。ラハブは、エリコの滅亡のただ中で彼女の一切の家とともに保護された(Adv.Haer; IV,20,12; PG,7, 1043)

ヨシュアの経歴に関するこの簡単な素描――この素描は、アレクサンドリアのクレメンスの許で拾い集められる諸々の言及[5]や、テルトゥリアヌスの論争的な諸々の使用によって[6]補完されるべきだろう――から、ヨシュアの予型論が、既に伝統的な諸々の解釈の上に堅固に確立されていることが浮き彫りにされる:ヨシュアの中心的な形象の周りに、数々の近隣のテーマが様々な程度に活用されて集まっている。キリストの形象としてのヨシュアのテーマは、一つの学派や、教会の限られた一部に留保されてはいない。二世紀の終わりには、アレクサンドリアとローマとリヨンとカルタゴに、その予型論の代表者たちが実在する。オリゲネスが登場する頃には、彼は、既に豊かで広範に普及した伝統を利用することができた。しかし、その伝統に十全な形姿を与えることになるのは、オリゲネスである。



[1] Cf.Sacr.Futuri,p.246-247.

[2] Hippolyte, Elenchos, V, 7,41; GCS 26,89.

[3] Cf.P.Lundberg, La typologie baptismale de l'ancienne Égligse, Leipzig- Upsala, 1942, p.151-155.

[4] Cf.Sacr.Futuri, p.217-232.

[5] 「律法の中に告げられるイエスの名前は、主の投影(skiagrafi,a)であった」(1Paed.,VII,60,3;GCS,12,125-126)。ラハブに関してクレメンスは、「彼女が自分の信仰と歓待の故に救われた」ということを繰り返すだけである(IV Strom.,XVII,105,4; GCS, 15,294)

[6] テルトゥリアヌスは、ユスティノスの許に、その本質的な諸テーマを汲み取る。ただし彼は、彼がユダヤ人たちやマルキオン派の人たちに宛て話す文脈の中にそれらを置いている。Cf.Adv.Marcionem, III,16 et Adv.Judaeos,9; Adv.Marionem, III, 18 et Adv.Judeaos,10.

 

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