テキストと日付

ヨシュア記講話のテキストは、ルフィヌスの翻訳を通してしてのみ我々の許に伝わった。ギリシア語原典を直接的に所有できないのは残念である。しかしそれは、ほとんどすべての講話に共通する条件である。そして我々は、翻訳者の実質的な充実さを信じる善き諸々の理由をここに持っている。今日の状態の中で、ヨシュア記講話のラテン語版は、ヨシュア記についての――彼の生涯の最後の時期の中で、おそらくパレスチナのカイサレアで――オリゲネスの説教の諸々の根本的な線を提示している[1]。この分野で権威をなすハルナックの意見に沿えば、それらの講話は、デキウスの迫害(249/250)と同時代である[2]。それらは、我々に伝えられたオリゲネスの最後の諸作品の一つであり得る。なぜなら、彼が残酷に苦しめられた恐ろしい迫害の後は、彼は、今日では失われた諸々の書簡しかもはや書かなかったからである。

説教壇からなされたヨシュア記についてのこの口頭の説教は、同時代の人たちには、オリゲネスの卓越した即興の才能の発露に感じられたにちがいない。しかしそれらの講話は、オリゲネスの忍耐強い諸研究と聖文書の弛まぬ省察によって準備されていた。熱烈な解釈者は、彼の諸々の聖書的解釈の非常に成熟した表現を本講話に残している。その点で、本講話は貴重である。それはまた、他の点でも貴重である。すなわち、それらの講話は、使徒として、魂の牧者としてのオリゲネスの諸々の関心と、彼の霊的な相貌とを垣間見させてくれる。

ヨシュア記の講話は、その解釈者としてのオリゲネスに数々の途方もなく大きな困難を突きつけた。その難しさは、彼の解釈の総体の中にあるのではなく――後述するように、その解釈はそれまでの伝統的な解釈によって練り上げられていた――、聖文書の朗読個所を随意に取捨選択できないことに起因していた。オリゲネス自身がパウロに従って断言するように、「もしも(聖文)の全体が神的に霊感を受けたものなら」、(聖文)書のすべての文字は、「聖霊に相応しく」理解されねばならなかった(Hom.8,1)(聖文書の)一つひとつ表現、一つひとつの言葉、時に単語の一つひとつの文字さえも精査し、それらの中に聖霊によって隠された意味を見出さなければならない。解釈者は、聖なるテキストが含んでいた「諸神秘の大海[3]」の中に入り込まなければならなかった[4]。たとえば、アイの袋やヨシュア[5]の退却を「霊的に」どのように説明すべきだろうか。どれほど深い諸神秘が、約束された土地の諸々の地所の分割の中に含まれているか[6]。聖なる使徒たちも、言語を絶した諸神秘を明らかにしただろうか(Hom.23,4)。たとえば、カレブとアクサとオトニエルのエピソードを説明するには、聖霊の恵みと神の助けが必要である(Hom.20,4)。かくも困難な課題を前にして、そして、みずからの神聖な役務を果たすために、オリゲネスは、しばしば聴衆の人たちからの諸々の祈りを求めている。

説教者は、ときとして聴衆の倦怠を洩らす幻滅した諸々の思いを見抜く:「それらの物語は、私の何の関わりがあるのか。聖霊は、どのような意図で、それらのちっぽけな小村の破壊の物語を神聖な諸々の書に託したのか」(cf.Hom.8,2)。そうした密かな懐疑に対して、オリゲネスは、パウロ的な言葉――これはライトモチーフとして、彼の許で繰り返し現れる――をもって応える:「それらは、時の終わりに臨む私たちのために書かれた」。一切の()文書は、霊感を受けたものである。したがってそれは、有益である。それらの物語は、我々の魂にとって意味を持つ。(聖文書の)テキストは、知性がその意味を見出すことができないほど不明瞭なのか。()文書の諸々の言葉は、耳目を打つだけで、心に響かないのか。そのような場合でも、落胆すべきでないと、オリゲネスは宣言する。()文書の諸々の言葉は、それ自体で効果的である。すなわちそれらは、魂の内的な諸力に作用し、諸々の徳を涵養し、魂の中に安息所をもつ善きみ使いたちを養う一方で、悪霊的な諸力を弱め、追放する(Hom.20,1-2)。なお、この驚くべき個所は、フィロカリにも保存されており、オリゲネスの天使論の興味深い側面の一つを示している[7]

本講話の本質的な難しさは、約束された土地を占領するためにイスラエル人たちが行わなければならなかった諸々の戦闘をどう解釈するかということだった。ヨシュアによって命令された数々の虐殺、諸々の町全体に掛けられた呪いをどのように正当化すべきか。霊感を受けた()文書は、むしろ、マルキオンやヴァレンティノスやバシリデスなどの異端者らにキリスト教を非難する格好の口実を与えることにならなかったか[8]。人は、これらの人たちが、旧約の冷酷な創造主を福音の神に乱暴に対立させていたのを知っている。

オリゲネスは講話全体を通して、ヨシュアの諸々の戦闘の霊的解釈を提案することによってそのような困難を解決――ないしは回避――している。すなわち、それらの戦闘は、悪霊どもや諸情念に対する戦いの形象である。同様に、彼は、詩編の次の醜聞的な節を説明した:「バビロニアの小さな子どもたちを、石にぶつけて砕かねばならない[9]」。オリゲネスによれば、彼らは諸々の悪しき思いであり、その発端において捕らえ、キリストという岩にぶつけて砕かねばならない(Hom.15,3)。諸々の()文書は、ユダヤ人たちの肉的で残酷な仕方で理解されてはならない。「外的な」ユダヤ人――その肉の中に外的な割礼を帯びていて、心の割礼を知らない人――は、ヨシュアの諸々の戦闘の記述の中に諸々の虐殺と諸々の流血しか見なかった。しかし、「内的な」ユダヤ人――神の子イエスに従う人――は、それらの出来事はすべて、諸々の天の国の諸々の神秘を表わすと理解した(Hom.13,1)。その反動として、マルキオン的な危険は、ユダヤ人問題を提起した。この問題はパレスチナにおいて激烈であったことは間違いなく、二つの民の根本的な対立を()文書の中に絶えず見出すオリゲネスの関心の中に垣間見られる。したがって、オリゲネスによるユダヤ人たちの改宗への熱情的な招きは、口先だけの諸々の効果を狙ったものではない(Hom.17,1; 26,3)。ユダヤ人たちに対しては、霊的解釈によって文字通りの意味の不条理をあまりにも簡単に克服する[10]。しかしそれは、de Fayeが考えるように[11]、オリゲネスが聖書的な物語の歴史性を斥けていることを意味するのか。それらの個所が注目に値するものになっているとするなら、それは一般にオリゲネスが、テキストの歴史性を想定しているからである[12]



[1] 60歳を過ぎてから、オリゲネスは速記者たちに、自分の諸々の説教を筆記することを許したと、エウセビオスは言っている(HE,VI,361Cf.Pamphile, Apologie, I; PG,17,545C)。したがって、オリゲネスのギリシア語テキストは、速記されたメモから形成されている。諸々の旅行と不在にもかかわらず、オリゲネスは231年以降、パレスチナのカイサレアに滞在していた(HE.VI,26)

[2] Harnack, Die Chronologie der altchristlichen Literatur bis Eusebius, Leipzig, 1904, t.11, p.42, et n.6. ハルナックは、おもにデキウスの勅令への明白な言及に基づいている(Hom.,9,10)。諸々の講話のテキストそれ自体(13,3)が、それらが『エレミア諸講話(これ自体が244年以後のものである)の後で表明されたものであることを示している。ルフィヌスの序文もまた、オリゲネスの高齢を証拠立てている。Adamantius senex(高齢のアダマンティウス)とある。

[3] Cf.H.de Lubac, Histoire et Esprit, Paris, 1950, p.139; Homélies sur la Genèse, SC,7, Introd.p.40.

[4] Cf.Harnack, Histore et Esprit, Paris, 1950, p.139; Homélies surala Genèse, SC, 7, Introd., p.40.

[5] 「ヨシュア」と「イエス」はヘブライ語の「ヨシュア」の転写である。七十人訳では、「イエースース」と転写されている。

[6] Hom.25,4; cf.Hom.19,2:「それらの記述が諸神秘に満ちていないか、あなたがお考え下さい」。聖文書のそのような厳しい要求を持つ理解が、オリゲネスの解釈を錯綜させ、恣意的にさせている。

[7] Voir Appendice I (Angélogie) et Appendice II pour le texte grec de la Philcalie.

[8] Hom.7,7; 10,2; 11,6; 12.

[9] Cf.Ps.137,9.

[10] Hom.5,5; 7,5; 9,4; 21,1.

[11] E. de Faye, Origène. Sa vie, son oeuvre, sa pensée, Paris, 1923, t.1, p.117-118.

[12] Cf.Hom.22,1(confirmé par Procope):ここでオリゲネスは、物語の歴史性を間接的に主張している。「それは単なる歴史(物語)ではありません」。同様にHom.25,4:「それらの事柄は歴史の中に含まれています」。Sur ce point délicat de l'historicité des récits bibliques chez Origène, cf. De Lubac, Hom.Gn.,SC, p.40-45 et p.154 n.1; Dan.Orig.,p.180-182.

 

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