E. 状況への決意

私たちは、その都度、いかに生きるかということを決めなければならない。つまり毎日の生活の中で、その都度、具体的な投企をしなければならない。我々は、具体的に何を投企すべきか。sその投企に対しての人間の基本的なあり方は、以前述べた。我々は、朝から晩まで投企の連続である。それが人間の本来的なあり方であるためには、死への先駆的決意に裏打ちされていなければならない。こうした根本的な条件は、今まで述べてきた。しかし具体的な投企の内容は述べられていない。

具体的な投企の内容は、死への先駆的決意から導き出せるものではない。結局は、一人ひとりの現実の状況だけが、具体的に投企の内容を示してくれるのである。

だから人生の可能性を勝手に決めることはできない。否応なしに投げ込まれ、自分にあてがわれている状況をそうしたものとして受け入れ、そうした状況が許す生き方に対して自分はこれしかないのだと決意して生きなければならない。したがって投企の具体的な内容は、すでに決定されているといえる。こうした在り方を状況への決意と呼ぶ。

本来的な生き方が世間的な生き方と常に対比されているのだけれども、世間的な生き方をした人間も、どうにもならない状況というものを持っている。したがって世間的な生き方をした人間も、本来的な生き方をした人間も、直面している事態・状況は同じである。しかし世間的な生き方をしている人間には、その被投性の中での生き方が、ありありと見えてこないのである。

さて頽落の性格の一つとして、「曖昧さ」というものがあった。つまり世間的なあり方をする人間は、曖昧さに包まれているがゆえに、現実の具体的な状況が見えてこない。つまり被投された状況というものは、非本来的な在り方をする人間には、見えてこないということである。

良心の呼び声に目を覚まされた人間は、死への先駆的覚悟をするようになる。そうして自分の徹底的な有限性を自覚するようになる。自分の現実的具体的な投企もまた、有限でしかないと知るのである。つまり自分が置かれている状況が許す仕方でしか投企できないと自覚するのである。良心は、人間を死へと呼び出すと同時に、現実の如何ともし難い状況へと呼び出す。

ハイデガーは、人間には免れることのできない死という現実を、人間に突きつけたのである。それによって生に重さ、生まれてゆくことの重さというものを思い知らせようとした。さらに死という無に臨む不安に人間をさらした。そして否応なしに、生きてゆくことの意味への問いというものを諸君の一人ひとりに押し付けてきたのである。その上で現実の状況への決意において生の意味を思い出させるのである。この辺にくると、これはまさに実存哲学である。

 

「状況への決意」は、実存哲学全体を理解する上で、極めて大事であると、私は思う。しかし以下の二点に注意してもらいたい:

(一)  状況への決意というものは、一般に実存哲学が単なる主観性に留まることを説くものではない。

実存哲学には、次のような一つの批判がある。「実存哲学は、口を開けば、主観性や内面性といった人間の態度・心構えが大切なのだと主張する。そして人間を外との関わり・歴史的社会的な現実との関わりから切り離し、主観や内面の内に押し込んで、孤立化させてしまう。そして不安とか死への恐怖などを言い立てているのだ」と。

確かに実存哲学は、内面性を強調する。しかしそれは、主観の中に引き込んでしまうのとはまったく違う。いわば外へ出るために、いったん中に入るのである。Das Man的な在り方をしている場合、人間は現実の状況と関わりあって生きている。しかしその現実の状況との関わり方は、外に埋もれてしまっている。そして無意識的にそうした現実の状況によって右へ左へと動いているのである。

しかしこういった非本来的な在り方は、やめなければならない。したがってやめさせるためには、そういった外との関わりから離れ、いったんは内面に戻ってはっきりした自覚・決意をもって、その上で再び外との関わりに出なければならないのである。

状況への決意を持った生き方と、状況によって無意識的に左右されている生き方とは、外面的に同じでも、その人自身にとってはまったく違ってくるのである。

そういうわけで、実存哲学は、単なる主観性や内面性に留まるものではない。

 

(二)  「状況への決意」は、人間の偶然性の克服という意味を持っている。

人間存在の偶然性とか有限性というものに、実存哲学は鋭敏な感受性を持ってきた。ところが実存哲学は、こうした偶然性を、自分自身の存在や人生をただこれしかないもの、あるいは人ごとではないまさに自分自身のものとして引き受けさせる契機を持っていると考えていこうとする。実存哲学は、このような偶然性を自分にとって唯一絶対のものとして積極的に引き受けようとするのである。

実存哲学は意味の転換を大切にしている。偶然性を消極的にではなく、積極的に捉えようとする。ここに実存哲学の長所と端緒がある。偶然的なものをごまかさずにありのままに見据えて、それを絶対的なものに転換する。これには、状況への決意の裏づけがあるのである――状況への決意という主体的な決断。

こういった主体的な決断が可能になるためには、状況に埋もれてただ流されているあり方から、自分を引き離さなければならない。

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外から内への方向が、内から外への方向に転換することを理解しない者、偶然性の強調というものが、自分にとっての必然性とか絶対性に転換することを理解しない者、そういうた人たちには、実存哲学はわからないであろう。

 

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