F. 実存の時間性

ハイデガーの考えでは、これまで述べてきた実存のあり方というのは、時間的な在り方だという。

@というのは、死への先駆的な決意という本来的な在り方によって「将来」という時間的なあり方が決まるからである。

※将来(到来) Zukunft = zu kommen:

まだないものへ私が到り着く。

あるもののところへ近づく。

A被投性という在り方に則して「過去」という時間的な在り方が明らかになる。

※過去(既在性・来歴) Gewesenheit―――これは造語。本来はVergangenheit

B状況への決意という在り方によって、「現在」という時間的な在り方が明らかになる。

@+A+B:

したがって時間というものが人間のあり方に則して捉えられていることがわかる。

死をあらかじめ覚悟すると、自分の死は今はまだないけれども、しかしいずれは必ずあるようになる。自分の死というものをあらかじめ先回りしてゆくこと――死への先駆的な覚悟――こういうふうにまだないものをあらかじめ先回りして捉えることによって、将来という時間的な在り方が生じる。しかし「将来」と世間的な「未来」とは違う。

  未来:まだ来ない。先のこと――今とは関係はない。現在の死は、今の自分には関係ない。

  将来:現在と無関係ではない。まだないものでありながら、しかも現在と関係付けられている。そして現在の中で生きて働いている――現在の人間のあり方に影響を与えている。たとえば死。

こういう二つの時間的な在り方がある。まだないものでありながら、現在の人間のあり方に影響を与えているというこういった在り方を将来というのである。

 

被投性と過去

既に状況の中にあるというあり方によって過去という時間的な在り方が生まれてくる。通俗的時間概念としての過去とはまったく違う。

  通俗的時間概念としての過去:過ぎ去ってもはやないもの。もはや今でないもの。現在とは関係を持たないもの=Vergangenhait

本来的時間概念としての過去:被投性という人間の在り方に則して考えられた。過ぎ去ってもはやないものでありながらも、しかも現在の人間の在り方に影響を及ぼしている。状況の中には、昔投げ込まれた。しかし人はこの過去において一定の状況の中に投げ込まれ、しかもこの状況が、現在の人間の在り方に影響を与えている=Gewesenheit。たとえば、気が付いてみれば、自分は日本人である。

  既在性・・・既に一定の状況の中にある。その中に我々が既に投げ込まれてしまっている状況――それは、我々にとってどうしようもなくもう既にある。

  来歴・・・既に経験した事柄が現在にやってきている。

 

状況への決意と現在

状況への決意をすることによって、状況が人ごとではない自分自身の現実となり、それが自分にとって現にそこにあるものにされる。

※現にあるものとしてはっきりさせること=Gegenärtigen現成化

 現にあるものを現にあるものとしてはっきりさせること!

こういう人間の在り方によって明らかになる時間的な在り方が現在なのである。この現在は人間の在り方とは不可分のものである。

アウグスティヌスの『時間論』:哲学上の難問

「時間なんでものは、わけのわからないものである」。

 ※参考:物理学的な時間と人間の体験に基づく時間

 

以上で『存在と時間』を紹介は終りにする。

なおハイデガーは、自分は人間の在り方とか生き方を第一義的に問題しているのではないと言う。「私は存在論者であって、実存哲学者ではない」と彼は言う。『存在と時間』には、人間の在り方とか生き方だけを論及したものではないのであることを心に留めていただきたい。

 

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