略歴

ジャン・ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre 1905-1980)

1905(明治38)621日パリに出生。

父は技術屋で、海軍の技術将校。

母はドイツ語の教授、シュバイツァーの子である。したがってアルバート・シュバイツァーはサルトルのいとこにあたる。

少年時代のサルトルは、聡明であったけれども、数学が大嫌いであった。

Cf.ボーボワール『第二の性』

1929博士号取得

19291932?ベルリンのフランス学院に留学・・・フッサールやハイデガーに師事。

「もし君が現象学者であったら、このカクテルについて哲学的に語ることができるし、それからこのカクテルから新しい哲学を作ることができるのである」

――パリのゲール街のとあるカフェで、あんず入りのカクテルを、サルトルとボーボワール、そしてもう一人の友人が語り合っているときのこと。

現象学は、フッサールが創始した哲学的営みで、意識とその対象との相関関係を軸にして、その対象の意味を明らかにしようとする。サルトルにとってこの現象学は、自分の考えを表現するために必要だった。

1939年第二次世界大戦に従軍。野戦病院に勤務。

1941年ドイツの捕虜収容所を脱走。

ボーボワールと一緒に自転車旅行をして飢え死にしそうになったりした。「社会主義と自由」というレジスタンスを作ったりなどの反戦運動をした。しかしレジスタンスと彼との関係については、厳しい批評がある。 ⇒ 『墓場なき死者』

1964年ノーベル賞を辞退。

サルトル曰く:「作家は、作品によってのみ行動する」。

1980415日死去。

 ⇒ ボーボワール:「私にとって恐ろしいことは、たった一つしかない。それはサルトルが死ぬことなのだ」。

 

【サルトルの著作】・・・人文書院

1943『存在と無』L’être et le néant

1946『実存主義はヒューマニズムか』あるいは『実存主義とは何か』L’existentialsme est un humanisme

1960『弁証法的理性批判』Critique de la raison dialectique・・・マルクス主義をもっと人間的にしようと試みたもの。

 

【参考文献】

アルベレス『サルトル』理想社

ジャンソン『サルトル』人文書院

スターン『サルトル論』筑摩書房

金文武蔵『サルトルの哲学』弘文堂・・・『存在と無』の要約

竹内芳郎『サルトルの哲学序説』盛田書店

竹内芳郎『サルトルとマルクス主義』紀伊国屋

箱石牛s『サルトルの現象学的哲学』以文社

渡辺幸博『サルトルの哲学』世界思想社

鈴木道彦『サルトルの文学』紀伊国屋

人文書院『サルトル、自身を語る』・・・対話編。

 

ニーチェ、キルケゴール、ハイデガーは、第一次世界大戦前および直後に活躍。それに対してサルトルは、第二次世界大戦の直前直後に活躍。第二次大戦は、第一次のそれと比べて、質・規模ともに膨大な被害をもたらした。

サルトルは、兵士として第二次世界大戦に参加した。後にサルトルは、我々フランス人は、ドイツ軍の占領下にあったときほど、自由であったことはないと、言ったそうである。

レジスタンスの間に『存在と無』を出版。戦争体験が彼に大きな影響を及ぼした。

 

194510月パリ・クラブ・マントランで講演。

『実存主義はヒューマニズムなのか』。

1946年『実存主義はヒューマニズムである』。

――実存主義は、首尾一貫した無神論的立場からあらゆる帰結を引き出そうとする試み以外の何ものでもない。

ところでサルトルの言うヒューマニズムとは、「人間を中心において、神を断念する世界観」。神が死んで、初めて人間は自覚して生きることができる。自主的に生きることができる。

つまりサルトルにとっては、ニーチェと同じく、神は決定的に死んでいるのである。したがって彼の著作は、バチカンの禁書目録に載っている。

 

神を否定する理由:

サルトルは、人間の自由を追求する。神が死んで、初めて人間は自由になる。

※ 自由を求める欲求=ヒューマニズムの精神

 

無神論から何が帰結として引き出せるか?

一般論として、先ず伝統的な価値、とりわけ道徳的な価値観(=伝統的道徳的思想)の崩壊が引き出される。ところでキリスト教的道徳が、ヨーロッパでは浸透していた。逆に価値観の崩壊は、神の死を意味する。さらに神への信仰が薄れるということでもある。

時代が進むにつれて、合理的な考え方が台頭し、宗教の非合理的な考えが受け入れられなくなってきた。

こうした考え方に、第二次大戦の体験が拍車をかけた。神に似せて造られた人間の崇高さというものが薄れてしまった ⇒ 価値観の崩壊。

その結果キリスト教への信頼が薄れた。

 

では、戦争体験とキリスト教信仰の衰微はどういう関係にあるのであろうか。

戦場では、ヤスパースが言ったように、限界状況(死への危険・恐怖にさらされた状況)に人間は置かれなければならない。

そして平和時には抑えられている欲望が抑えられなくなり、人間の本性がむき出しになる。人間の崇高さを学んできた純真な若者が、戦場で自分の中にある人間の醜さに気づいて、それを自覚すると、他人への見方が厳しくなる。そして人間性の崇高さが信じられなくなり、ひいては神をも信じられなくなる。

 

なお、フロイトによると人間の根源的な欲望は、二つの衝動を持っているという。

@エロス(生の衝動)・・・生命体(個人・家族・種族・国家)を一つの統一体にしよう。

Aタナトス(死への衝動)・・・攻撃衝動・破壊衝動・暴力衝動

人間の文化の発展の過程は、エロスとタナトスの戦いである。エロスは永遠であり、タナトスは不死身である。そして特に普段は抑圧されているタナトスが戦場では荒々しく顔を出すのである。

 また、D.H.Laurenceは、次のように言っている。神は1914年に(第一次大戦)に死んだのだと。

 

 神の死と価値観の崩壊とは、どちらが先にしろ、結びついて起こってきたものである。 

無神論の立場からサルトルは、あらゆるものを説明しようとする。

価値観とは、人間の行動の基準となる。したがって神の否定と伝統的価値観とが崩壊するということは、生活や行動の指針がなくなってしまうことを意味する。

さるとるによれば、我々は、他律的にではなく、自立的に孤独の中で、自分の運命を築かなければならない。みずから自分の倫理を造り上げなければならないのである。

 

【コメント】

 崩壊したと考えられる伝統的な道徳思想は、普遍的なものと見られていた。それが崩壊した。したがってそれぞれの個人が、自分の倫理を造らなければならない。

アルベレス『現代作家の反逆』:

※ プロメテウスPrometheus、ギリシア神話に出て来る巨人で、あらかじめ考える人という意味をもっている。

プロメテウスは、人間を憐れんで神の火を人間に与えた。これを見た大神ゼウスは怒って、プロメテウスを縛り上げ、絶壁につるした。ヘラクレスがこれを救う。

中心に燃える火がないので、各人は自力で自分を暖める火を盗んでこなければならい。あるいは各人は、じっとして、暗闇の中で震えていなければならない。

※ 各人が自分の自由と自分の責任で、自分の価値を見出していかなければならない――サルトルの基本的な立場

 

《まとめ》サルトルの思想の前提:

一)   無神論。

二)   伝統的不変的な価値の否定。

三)   価値は与えられるものではなく、各人が造らなければならない。

四)   価値の主観性。

 

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