B 実存の自由

サルトルの哲学は、時として自由の哲学と呼ばれる。ところで自由論には二つの側面がある。

一) 意識の自由についての議論

二) 実存の自由についての議論

前者は、実存哲学との関係は薄く、現象学との関係が強い。後者は、実存哲学の考え方のである。これは、実存は本質に先立つという定立に直結する。ところが、後者の前提に、前者も入る。

 

現象学の立場からすると、

@  意識というものは、常に、何かについての意識である。

したがって何も意識しない意識はない。

こうしたことを意識の志向性(指向性)と言う。

A  意識は、意識されるものに関わる志向作用の何ものでもない。

B  意識とは、自分を超えて外へ出てゆく運動である。

C  ところで、対象についての意識には、その意識自身の意識が伴っている。

D  何かを意識するということは、意識されたものを意識されたものとして在らしめることである。

 

まとめると、意識には、それについての意識が伴っている。そして意識するということは、意識されるものを在らしめることである。よって、意識をあらしめているのは、意識自身である。意識の原因は意識自身である。

一)意識は何かを意識するという能動的な働き。

二)意識は自分以外の原因を持たない。

以上の二つのことが、意識の自由ということの意味である。人間は、いま言ったような意味で、自由なのである。以上が意識の自由の形式的な議論である。

 

次へ