1 意識の自由=意味付与(賦与)の自由

意識は、既に何かある対象を持っている。対象は、我々(意識)に対して、何らかの意味を持っている。意味とは、意識が対象に与えるものである。

 

知・情・意の三分法

-     知・・・知性の働き・判断作用(知覚をもととして、認識を作りあげる精神的諸機能)

  意識にとって対象は判断されているもの

例) Aという人物に対してどんな奴だろうと意識するとき、Aは意識によって判断されている。

-     情・・・感情の働き

例) Aさんは私にとって好きな人、好かれている人、嫌いな人。

-     意・・・意志

 

対象は意識されたものとして、何らかの意味を持っている。しかし対象に、どういう態度で臨むかによって、対象の意味は違ってくる。

例)

・ 知性的に接すれば、Aさんは判断された人

・ 感情的に接すれば、Aさんは大好きな人、大嫌いな人

このように知的な態度、感情的な態度によって、同じAさんが、私にとって変わってくる。意味は、私がAさんに与えたものだ(=態度によるものだ)

どのような態度を取るかは自由だ = どのような意味を与えるかは自由だ

⇒ 意味付与の自由

  この意味付与の自由は、意識の志向性による。つまり意識は、その志向性によって対象に自由に意味を与えるのである。対象は、既に何らかの意味を持っているが、その意味は意識が与えるものであり、対象はなんら意味を持っていない。

険しい山が存在するとする。それに対して人間は、色々な態度を取れる。どうしても向こうに用事があり、山を越えなければならない旅人に対して、山は、旅路の重大な障害になる。しかし登山家にとっては、こよなき楽しみを与えてくれるもの。あるいは、景色を眺める観光客にとっては、絶景という意味を持ったもの。観光業者にとっては、絶好の金儲けの手段になる。

⇒ 山は、何の意味も持っていない。意味は意識の態度による。

 

【コメント】サルトルに対する批判

メルロ・ポンティによれば、今の例に挙げられた山は、意識される以前に「すでに」険しいという性質を持っている。登山家にとっての意味は、険しいという性質がなくてはならない。

⇒ 意味付与の自由は、対象の持つ特性にかなり制約[1]されているのである。



[1]制約:ある条件を課して自由にはさせないこと。物事の成立に必要な規定または条件。

 

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