サルトルの実存の特徴

 彼の実存の特徴として次の二点を指摘することができる。

-     人生の意味の創造。

-      伝統的な価値へと逃避することなしに、それを再評価しながら、自分の中で生かす。

しかしこの創造とか再評価は、一度限りのものではない。常にそれを繰り返すことが必要である。 というのは、人生の意味・価値というものは、耐久消費財ではないからだ。それは常に再生産されねばならない。

ところで伝統的な価値観というものは、神によって人間に与えられたものであり、しかも普遍的なものであると考えられてきた。

  普遍的:

@   すべての人に当てはまる。

A   どんな場合にも当てはまる。

ところが神が死ぬと同時に、この二つの普遍の意味は消えてしまう。つまり、状況が変わるごとに、以前の通りに行為してよいのか否かをその都度考え直していかねばならない。

したがって、価値の創造や再評価というものは、繰り返さなければならない。そしてこの創造とか、再評価の努力が、人生の意味なのである。

そうすると「誠実」ということが問題になってくる。

一度定めた価値を一貫して守り通すことが、サルトル的な実存の誠実さではない。不変的な価値が崩壊したことを知っている人間は、迫り来る決断を、その都度、敢行する。そうする人こそ、誠実な人なのである。そういうの誠実さが、神なき時代における人間の誠実さということになる。

 

Bonne foi, Wahrhaftigkeit 「誠実さ」

誠実さということを強調した近代最初の人は、ニーチェである。彼曰く:

キリスト教道徳が人間に誠実の徳を与えてくれた。しかしこれによってキリスト教道徳の虚偽が白日の下に現れた。『道徳の系譜』岩波文庫

 

 ※スタン『サルトル論』:

サルトルは、神を信じない人間の中で、最も信心深い人間である。それは、サルトルが徹底的に誠実さというものを追求したからである。

 

 アペレス『20世紀文学の決算』第二部「道徳的冒険」:

20世紀の作家たちにとっては、道徳というものは、人々によって無批判的に受け継がれてきた単なる習慣に過ぎないものであった。それで20世紀の作家たちは、こういう機械的に受け継がれてきた生命を失った道徳を拒否した。そしてそれに代わって一つの新しい道徳的な価値を造り出した。それは、誠実の徳である。しかしこの誠実の徳は、一つの単純な徳目ではない。

たとえばジイドにとっては、誠実の徳は真実の豊かな生を生み出す力であった。サンテグジュペリ、カミュにとっては、それは、行動と人間的同胞愛を生み出す力であった。つまり、誠実というものの目的は、道徳そのものの拒否ではなく、単なる習慣と成り果てて誠実さというものに裏づけられていない道徳に代わって、生きた道徳を造り出そうとすることなのである。

  コメント:

 ジイドにとって云々というのは、『背徳者』『贋金作り』の二つに作品による。

 

実存の自由というものの主張は、創造や再評価の不断の努力の必要性を伴うもので、非常に厳しい。 実存の自由は、絶えず自分自身を造ること、つまり現にある自分を越えて、在るべき自己へ向かって投企することである。つまり自由な実存と自己自身とは常に一致しない。

人間とは一致の欠如である。

要するに実存は否定を含んでいる。こういうところからサルトルは、自由について、寄る辺なさ、倫理的不安を導き出したのである。このようなことをもとにして、サルトルは、無神論について次のように言っている:

「無神論とは、一つの残酷にして長期にわたる企てである」。

神とは、各人が全生涯を費やして結論を下すべき全体的な問題である。しかもその結論は、各人が自己自身と他の人間とに対して為した態度の反映である。それゆえ神の問題とは、人間の生き方の問題なのである。

 

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