サルトルの無神論について――ニーチェとの対比

 

・ サルトル・・・神の否定ということに、あまり力点が置かれていない。

・ ニーチェ・・・神の否定ということを痛烈に主張する:「神は死んだ」。

 

サルトルが力点を置くのは、人間自由である。人間が自由だと考えられる場合、神は人間にとって無意味となる。なぜなら神は、人間の自由を抑えるから。

神がたとえ存在するとしても、自由な人間にとっては、神というものはまったく意味のない、力のないものとなる。サルトルは、この点で、ニーチェ以上に、神を突き放している。

ニーチェ 「神は死んだ」 ⇒ 神へのこだわり

サルトルの所説は、広い意味で無神論・・・神の存在を否定するというよりも、人間に対する神の有意味性をも否定するからである。。

 

サルトルの実存の自由という考え方と彼の生きた時代との内的な関連を考えてみようと思う――徹底した自由は、何故、生まれたのか。

19406月〜19448月:ドイツ軍によるフランス占領時代

当時のフランスは、価値の空白と言っていいような状況に置かれていた。フランスは、ドイツの傀儡政権(ヴィシー、ペタン内閣)下にあった。一方、ロンドンには、ド・ゴールが自由フランス政権を樹立していた。彼は、対仏放送でレジスタンスを激励した。

双方で相手を非国民といって非難した。歴史の審判が下っていない当時にとって、どちらの主張が正しいかを決定するのは難しかった[1]

ペタンは、第一次世界大戦の英雄であった。彼は、ヴェルダン要塞の司令長官であった。他方、ド・ゴールには、軍事的名声はほとんどなかった。

そしてドイツ・ペタンを悪と見なし、ド・ゴールを善と見なす立場には、何の根拠もなかった。客観的な手がかり・価値というものがない(価値の空白の時代)。

しかもそういう重大な結果を持つレジスタンスというものの実際的な効果というものは非常に曖昧であった。

ドイツは、残酷な報復をした。無関係な住民を銃殺した。国民は、このような行為をしたドイツを恨むばかりでなく、レジスタンスをも恨むのは当然である。したがってレジスタンスは、占領軍の力を弱めるためにやっているのか、あるいは同胞を助けるためにやっているのかがわからなくなっていた。

このような状況の中で物事を真剣に考える人々には、二つの可能性がある:

一)    あらゆる価値を疑うニヒリストになる。

二)    まったくの一人ぼっちで、選択の自由を行使する ⇒ サルトルの自由論

 サルトル曰く:

「我々は、ドイツの占領下にあったときほど、自由であったことはなかった」

――『状況Situation』第三巻「沈黙の共和国」

 

ところで、1956年、時のローマ教皇ピオ12(19391958)[2]は、実存主義的な倫理的立場を間違ったものとして否定し、禁書目録に載せた。サルトルは、キリスト教的価値を否定して、その都度の状況の中で、いかに生きるべきかを問い直していかなければならないと説いたからである。

しかしながら、第二次世界大戦という状況の中では、カトリックの教えが有効な判断基準とはならなかった!

一般に近現代の自覚した人間の立場からすると、神と人間とは対立せざるを得ない。人間が人間として生きるためには、神は死ななければならない。人間は、完全に人間として生きるようになったのである。

しかし果たして神は死んだと主張する資格のある人は、多くいるだろうか。その答えは、「否」である。

Gardavsky(チェコの人)

Gott ist nicht ganz tot.『死に果てぬ神』YMCA出版

ここで神は死んでいないと言っているが、これは、人間がまだ完全には人間として生きていないことを意味する。神が死んだという主張は、人間に非常に厳しい課題を突きつけている。



[1]歴史の審判とは、要するに、「勝てば官軍」ということで、勝ったものの論理が正しいものとなる。

[2] ピオ11(19221939)のファシスト擁護:ムッソリーニは、イタリアを神に返し、神をイタリアに返すために、イタリアにもたらされた人物であるというようなことを言ったそうである。 ⇒ キリスト教の愛は一面的なものである。信じない者には、弾圧を加える。

 

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