15 「また、火の中には、四つの生き物の姿のようなものがあった。それらの有様は、こうであった。それらの生き物に人間の姿があった。それぞれに四つの顔があり、それぞれに四つの翼があった。また、それらの脚はまっすぐで、それらの足には羽が生えていた[1]」。神によって御せられるもの[2]がどのようなものであるかを、あなたはお考えください。たとえば、「ケルビムの上に座す方よ、現れてください[3]」と言われています。「ケルビム」は、知識の充満[4]と解釈されます。ですから、知識に満たされた人はだれでも、神が御する「ケルビム」になるのです。しかし、「四つの顔」は、何を意味しているのでしょうか。救われるべきものは、主「イエス」の前に「膝をかがめ」ます。それらは、使徒によって三つ挙げられています。「こうして、イエスの名において、天と地と地の下にあるもののすべての膝がかがめられるのです[5]」と。ところで、主「イエスに膝をかがめる」ものは、彼に服従します。そして「服従した」ものは、こう言います。「私の魂は、神に服従しないであろうか。神にこそ、私の救いはある[6]」と。そして「彼は、ご自分のすべての敵をご自分の足下に置くまで、統治しなければなりません[7]」。では、第四のものは、何でしょうか。「天にあるものと、地にあるもの、また地の下にあるもの[8]」は、(合わせて)三つにしかなりません。たしかにこうあります。「もろもろの天の天よ、主をたたえよ。もろもろの天の上にある水よ、主のみ名をたたえよ[9]」。これらすべてのものは、神によって御され、その威厳によって導かれているのです。



[1] Ez.1,5-7.

[2] 「四頭立て二輪馬車」のようなものを考えればよいであろう。

[3] Ps.79,2.

[4] Cf.Com.Rm.1,3.

[5] Ph.2,10.

[6] Ps.61,2.

[7] 1 Co.15,25.

[8] Ph.2,10.

[9] Ps.147,4-5.

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