第7講話

 

「お前はわたしの衣から取り、これを縫い合わせて自分のために高貴なものを作った」から、「そしてお前はこのようにしても飽き足らなかった」まで

 

 エルサレムの諸々の罪の一覧は、理解がどのようなものであったとしても、聞き手を建徳するものです。すなわち、もしも家の主人が自分の家の中で家の奴隷の誰かを懲らしめ、その罪をあげつらっていたとすると、他の最近買い取られた奴隷は、責め立てたり誉めたりするその家父長の規律を見ると、先輩格の同僚の奴隷たちの行なったことを行なわないように教えられ、主人から賞賛や解放を得た他の奴隷たちの行いをするように全力を挙げて努めるでしょう。これと同じように私たちも、神がどのような事柄で、エルサレムや全ユダヤあるいはそれらの諸部族の内で特に罪を犯した部族を責められるのかを聞いて、少なからぬ利益を得て、私たちが他の人たちの陥ったのと同じ過ちに陥ることのないようにするのです。ところで今日の朗読の始めは、エルサレムが神から「諸々の衣を受け取って、それらの衣を縫い合わせて何らかの模造品を作り、それらの模造品と姦淫を行なった」というものでした[1]。私は先の講話で、この言葉について私のできる限りで検討して、聖書を引き裂き、言葉を言葉から切り離し、再びそれらを縫い合わせて偽の教義を作り上げる人は、聖書の「衣」を身にまとった「偶像」に仕えているのだということを教えました。「お前は私の幕屋に入らず、外にいる。そして外にいるだろう[2]」。聖書は、聖人たちが内側におり、罪人たちが外にいることを知っています[3]。ですからエルサレムはこれほど大きな罪を犯したので、神の約束の中に「入る」ことができず、こう言われるのです。「そしてお前は入らない[4]」と。私たちも、「そしてお前は入らないし、実現もしない」といつの日か言われないように注意しましょう。「実現もしない」と言われている言葉は(主語が欠けていて)完全なものではありません。ですから意味が完全なものになるよう、外から補って理解されねばなりません。お前が受け取るだろうと約束された善き物が「実現しない」のです。



[1] Cf.Ez.16,17.

[2] Cf.Ez.16,16.

[3] Cf.Hom.Nb.21,2.

[4] Cf.Ez.16,16.

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