春は事が有り坐を起つ(=たつ)。時に暴雨疾雷(=ぼううしつらい)。干は大いに悦ばず曰く、「儒者の所謂太極[1]は、天主に及ばず。天主は卿曹[2](=きょうそう)弱年の知る所に非ず。我は能く(=よく)太極を知る」と。信澄が曰く、「汝は狂謾(=驕慢)也。太極は汝の知るべき所に非ざる矣(=なり)」。干は怒りて口を杜ず[3](=とず)。時に春は、坐に復りて(=かえりて)曰く、「凡そ(=およそ)義理を言うは則ち、彼に於いて益が有らず、必ず此れに於いて益が有り。若し勝ちを争うは則ち忿怒(=ふんぬ)の色、嫉妬の気が面(=おもて)に見ゆ。是は心術を害する一端也。之を慎め哉(=や)」。天が晴るるに及びて帰る。干は出でて拝し送る。



[1]    宋学における万物の根源。ハビアンの理解する太極論は『妙貞問答』中巻にある。

[2]    「あなた方」という意味。

[3]    「口をふさぐ」ということ。

 

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