2.作者
ここに訳出された聖クリュソストモス司教の作として伝えられる三つの『過越祭講話』は、それらを『クリュソストモス全集』の付録として印刷に付したサヴィル(1612年刊)やモントフォソン(1728年刊)によって、すでに、クリュソストモスの作品であることが否定されてきた。本講話の言葉づかいや神学的内容が、明らかにクリュソストモスのそれと異なっているのである。やがて、本講話と共に上記の全集の付録に収められた別の講話(伝聖ヒッポリュトス『過越祭講話』)が、二十世紀に入って再び見なおされ、三世紀の聖ヒッポリュトスの手になるものとされたために、本講話も同一人物の手になるものと考えられるようになった。なお、この『クリュソストモス全集』の付録には、それらの過越祭講話の他に、ニュッサの聖グレゴリオスが387年に行なったと推定される過越祭講話も収録されている。いずれ、もしも許されるのであれば、私朱門岩夫が、このグレゴリオスの講話をも取り上げてみることにしよう。ともあれ本講話は、ヒッポリュトスの作品とされてのみならず、それが『出エジプト記』の過越規定を取り扱っていることから、聖ヒエロニムスによって言及されているヒッポリュトスの『出エジプト記講話』ではないかと言い出す者いた。
しかし、本講話とヒッポリュトスのパスカ解釈の流れを汲む伝聖ヒッポリュトスの『過越祭講話』とを合わせ読めば、本講話が、言葉づかいと神学的内容の点で、伝ヒッポリュトスのものとはまったく異なることが、すぐに判明するのである。本講話の言葉づかいは、聞き手の感情をあおりたてるような激情はなく、いたって慎重である。そこには、作者の主張を正確に聞き手に伝えようとする配慮がにじみ出ている。一口に言って本講話の作者は、雄弁よりも論旨を優先する謙虚な神学者ないしは教会著作家といった風采を呈している。ところが伝ヒッポリュトスの場合には、これとは正反対で、感動的ではあるが冗長な誇張表現に満ちあふれ、ただ聴衆の感情的な扇動を狙っただけの、内容の乏しい空疎な修飾語句の羅列が随所に見出だされるのである。
その上、神学的内容の点でも両者の相違は著しい。本講話は、『出エジプト記』第一二章に見られる「パスカ」というヘブライ語を、移行(u`pe,rbasij)と解釈して、すでにピロンやアクィラの著作に見られオリゲネスによって採用された「パスカ=過越」の立場に身を置いているのである。他方、伝ヒッポリュトスは、このパスカをギリシア語のパトスすなわち受難と強引に解釈して、文献の上では、二世紀にエイレナイオスにまで遡りうる「パスカ=受難」の立場に立っているのである。なお、この「パスカ=受難」の立場は、二世紀のエイレナイオス以来、西方ではテルテゥリアヌスによって、東方ではヒッポリュトスによって採用されている。このように本講話の作者は、クリュソストモスでも伝ヒッポリュトスでも、したがって当のヒッポリュトスでもないことはわかっている。しかし、真の作者が誰であったかということについては、未だにわかっていない。