3.年代
本講話は、一時、ヒッポリュトスと同時代、すなわち三世紀と推定されたこともあった。しかし本講話は、「主を被造物の内に数え入れて、主は恵みによって神性をお持ちになるのであって、真の神性をお持ちになるのではないと主張する人は・・・」(I,20)というふうに明らかに反アリウス派の言い回しをしている。したがって本講話の作成年代の上限は、ニカイア公会議の年(325)ということになる。
他方、本講話が、キリストの托身に話が及ぶとき、キリストにおける人間的魂や精神に言及せず、み言葉の身体への到来(eivj sw/ma e;dwken e`auto,n:II,18)を話題にするような論述の展開の仕方や、キリストの中に唯一の行動原理を見ようとする姿勢(II,7)やキリストの神性を強調する姿勢(I,19)は、アレクサンドリアのアタナシオス(295-373)やラオディケアのアポリナリオス(310-392)、アレクサンドリアのキュリロス(375-444)に代表される、きわめてデリケートな問題をはらむキリスト論的傾向に似通っている。ところが本講話でキリストの托身を話題にするとき、こうしたキリスト論的傾向を持つ教説を表明するにもかかわらず、その対極をなす、ネストリオス(?-c.451)に代表される極端な人間性重視のキリスト論を批判することがない。したがって、本講話の作成年代の下限は、ネストリオス派の異端的キリスト論の論争が開始される前に置かれることになる。ところで、ネストリオス主義が、エフェスソ公会議で断罪されたのは431年であった。したがって本講話の作成年代は、五世紀前後ということになる。