第四講話

 

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 神の元を見出すことは不可能です。あなたは、神の動きの元を決して捉えることはできません。あなただけとは、私は言いません。他の人たちも、存在する他のどんなものも、神の動きの元を捉えることはできません。常に神とともにいる救い主と聖霊だけが、神の顔を見ているのです。そしておそらく、諸々の天におられる「おん父の顔を絶えず見ている天使たちも[1]」、まさに諸々のご配剤の元を見ていることでしょう。このようにしてセラフィムは、人間たちの前で(主の)足を隠しているのです[2]。実際、人間たちは、最も遠いものを物語ることはできません。「誰が、最も遠い昔も事柄について告げたであろうか[3]」と聖書は言っています。私たちが見るものは――たとえ何がしかを見ることが許されるとしても――中間的なものです。この世の前に何があったかを私たちは知りません。しかしこの世の前に何がしかが存在しました。この世の後に何が続くかを、私たちは確実に把握することができません。しかしこの世の後に他の何かは存在するでしょう。聖書に書かれていること、すなわち、「元に神は、天と地を造られた。しかし地は、目に見えず、混沌としていた。そして諸々の闇が、深淵の上にあった。そして神の霊が諸々の水の上にあった[4]」と書かれていることは、把握されます。神の霊が漂うこれらの水は、この世に属していました。しかし深淵の上にあった諸々の闇も、造られなかったものではありません。実際、両者とも、それぞれ無から造られたものです。あなたは、『イザヤ書』で次のように言っている神の言葉をお聞きください。「私は、光を造り、諸々の闇を創造した神だと」。またあなたは、知恵が『箴言』の中で次のように宣言しているのをお聞きください。「私は、すべての深淵に先立って生まれていた[5]」と。これらのものは、造られなかったものではありません。しかしそれらのものが、いつ、どのようにして生まれたのか、私は知りません。実際、神の諸々の業に先立つ事柄、すなわち神の顔は、セラフィムによって覆われています。しかし(神の)足も同様に覆われています[6]。代々の果ての後に何があるかを、誰が説明できるでしょうか。議論好きの人々も、これらの事柄の観念を提供することができません。なぜなら人間は、中間的なものしか把握できないからです。この世の後から応報賞罰の裁きにおける完成のときに至るまでに起こる事柄、さらには罰や裁きの多くのことが私たちには隠されています。こう申しますのも、聖書には、「(セラフィムが)二つの翼で(神の顔)を覆っていた[7]」と書き記されているからです。しかし(セラフィムの)二つの翼は、それらの事柄を覆っているだけではありませんでした。隠してもいました。すなわち、以前にあった事柄が少しでも、すなわち顔が少しでも見られないようにするために、また、最も遠くにある事柄、すなわち神の足がわずかでも知られないようにするために、(セラフィムの)二つの翼はそれらの事柄を覆っていました。「そして(セラフィムは)二つの翼で隠していた[8]」とあります。しかし中間的な事柄は、観想されるべく開かれています。「そして彼らは、互いに他方に叫んでいた[9]」とあります。それは一方が、他の複数のものに向かって叫んでいたのではありません。一方(セラフィム)が他方(のセラフィム)に向かって叫んでいたのです。実際、救い主によって告げられる神の生成を、事柄の品位に相応しく聞くことは、聖霊を除いては誰もできません。また、聖霊によって告げられる神の神殿に住むことは、唯一の救い主を除いては誰もできません。それゆえに(二人のセラフィムは)互いに他方に叫び、こう言っていたのです。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな[10]」と。しかしそれらのセラフィムにとって、一回だけ「聖なるかな」と叫ぶだけでは十分ではありません。また二回叫んでも十分ではありません。むしろそれらのセラフィムは、三位の聖性の反復的な交わりである、神の聖性の多数性を表すために、三位一体の完全数を引き受けているのです。すなわちおん父の聖性には、おん子と聖霊の聖性が結びついています[11]。「実際、聖とする方も、聖なる者とされる人々も、ともに皆、一つのものに由来するのです[12]」。聖とする方とは、人間がおん父なる神から聖性を受け取るものであるのと同じ意味で[13]、救い主のことです。こうして(二人のセラフィムは)「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、サバオトなる主[14]」と言っているのです。ところでサバオトは、アクィラ訳の伝えるところによれば、「兵士たちの主」と解釈されます[15]



[1] Cf.Mt.18,10.

[2] Cf.Is.6,2.

[3] Cf.Is.41,26.

[4] Gn.1,1.2.

[5] Cf.Pr.8,24.22.

[6] Cf.Is.6,2.

[7] Is.6,2.

[8] Is.6,2.

[9] Is.6,3.

[10] Is.6,3.

[11] … sed perfectum numerum Trinitatis adsumunt, ut multitudinem sanctitatis manifestent Dei, quae est trinae sanctitatis repetita communitas; sanctitati patris sanctitas iungitur filii et Spiritus sancti.

[12] He.2,11.

[13] Hom.Nb.11,8: omnis ... creatura vel dignatione sancti Spiritus vel meritorum ratione sanctificata sancta dicetur.

[14] Is.6,3.

[15] Interpretatur autem Sabaoth, ut Aquila tradidit, Dominus militi- arum. Et cf CC.45 :sabaw.q... ku,rioj tw/n duna,mewn h] ku,rioj stratiw.n h] pantokra,twr.

 

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