第1講話

エレミアはいつ預言を始め、どの王のもとで預言をしたか、そしていつ何が主によって彼に語られたか。


 

 神は、善い業を行うのに早く、懲らしめに値する人々を懲らしめるのに遅い方であります[1]。なるほど神は、ご自分が断罪する人々に、黙ったまま、何の予告もせずに、懲らしめを加えることがおできになりますが、しかし決してそのようなことはなさいません。むしろ裁きをお下しになるとき、神は決まってお語りになるのです。神にとって語ることは、断罪される人をしてその断罪から逃れさせる手段なのです。これらのことについての実例は、聖書からたくさん引き出すことができるでしょう。しかし私たちが、いま朗読された箇所の真意に至るには、いま思い付くままに、わずかばかりの例を挙げるだけで、<十分でありましょう>。たとえば、ニネベの人々は、罪人となり、神によって断罪されました。こう言われております。「あと三日もすれば、ニネベ(の都)は滅ぼされる[2]」。神は、沈黙したまま、ニネベ(の都)を滅ぼそうとしたのではありません。かえって彼らに悔い改めと回心の機会を与えようと[3]、ヘブライ人の預言者をお遣わしになったのです。それは、彼が「あと三日もすれば、ニネベ(の都)は滅ぼされる」と言うことによって、断罪の対象なった人々が、断罪されず、かえって悔い改めることによって神の憐れみを得るようになるためです。ソドムとゴモラの住人たちも、神がアブラハムに語った言葉から明らかなように[4]、断罪されました。ところがそれにもかかわらず、天使たちは、自分たちの使命を果たしながら、救いを望まない住人たちを救おうとして、こう言っているのです。「他に、あなたの娘婿や息子あるいは娘が、ここにいますか[5]」。天使たちは、彼らがロトに付いてこないということを知らないわけがありません[6]。天使たちは、自分たちをお遣わしになった方の慈しみと人類愛との業を行ったのです。



[1] Cf.Hom.Ex.7,4.

[2] Cf.Jon.3,4.

[3] Cf.Sg.12,10.

[4] Cf.Gn.18.

[5] Gn.19,12.

[6] Cf.Gn.19,14-15.

 

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