13  「そして私は言った。支配者である主よ、ご覧ください。私は話す言葉を知りません。なぜなら、私は若いからです。そして主は私に仰せになった。『<私は若い>と言ってはならない。なぜなら私がお前を誰のこところ遣わそうとも、お前は行かなければならないからだ』と[1]」。私たちは、しばしな次のように申し上げました。すなわち、身体の上では老齢に達していますが、内なる人間としては子どもであり得る人がいて、逆に外なる人間としては子どもですが、内なる人間としては大人である場合があると。体の上ではまだ子どもの年頃であったのに、早くも神から恵みを受けていたエレミアは、この後者の人だったのです。それで主は、エレミアに、「私は若いと言ってはならない」と言っているのです。彼が若くなく、むしろ「完成の域に達した大人[2]」であることの証拠は、「私がお前を誰のこところ遣わそうとも、お前は行って、私がお前に命じることをすべて余すところなく語りなさい。彼らを前にして恐れてはならない[3]」という言葉であります。神のみ言葉は、み言葉の伝達者たちが、聞き手たちの間で危険にさらされることをご存知です。なぜなら彼らは、譴責すれば憎まれるし、非難すれば迫害されるからです。預言者たちは、ありとあらゆる苦難を被るものです。「預言者は、自分の故郷や家ではさげすまされる[4]」のです。これについては、最近、私たちは取り上げてみました。

  ですからこういうわけで神は、この預言者をお遣わしになったとき、彼が受けねばならない危険のすべてを知っていて、彼にこう言われたのであります。「彼らを前にして恐れてはならない。私はお前とともにいて、お前を必ず救い出す、と主は言われる[5]」と。エレミアが被った苦難は、(聖書に)書き記されております。彼は「泥の水溜[6]」に投げ入れられてしまいました。彼はそこで、「一日一個のパンを食べ」ました。彼はまた水だけを飲みました。そしてその他にも彼が苦しんだ無数の苦難を、彼の預言は明らかにしております。「あなた方の先祖たちが迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか[7]」と、ユダヤ人たちに言っております。「キリスト・イエズスに一致して信心深く生きようとする者たちは、十中八九、敵対する霊的存在者どもによって、彼らの見出すあらゆる手段で迫害を受ける[8]」のが必定なのです。ですから、迫害される人たちは、快く迎えられることがなくても、すべてのことを成し遂げるべきです。そして、ただ不正に迫害されることだけを求め、正当に迫害されないようにすべきです。(自分の)不正や罪、貪欲によって迫害されるようであってはなりません。もしも義のために迫害される人がいれば、その人は次の言葉を聞くべきでしょう。「私のために人々があなた方をののしり、迫害し、またあなた方に対して偽りを言い、あらゆる悪口を言うとき、あなた方は幸いである。喜べ、歓喜しなさい。天においてあなた方の受ける報いは大きいからである。実際、あなた方より前の預言者も、同じように迫害されたのである[9]」と。



[1] Jr.1,6-7.

[2] Ep.4,13.

[3] Jr.1,7-8.

[4] Mt.13,57.

[5] Jr.1,8.

[6] Jr.38,6.

[7] Ac.7,52.

[8] 2 Tm.3,12.

[9] Mt.5,11-12.

 

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