3 次にエレミアは、言葉どおりの意味で当時のエルサレムとユダヤに住んでいた罪人たちのゆえに[1]、どのようなぶどう酒が神によって、罪人である革袋に満たされようとするのかを教えています。こう書かれています。「もしもかれらがあなたに、『わたしたちは、すべての革袋がぶどう酒で満たされるというのを知らないとでも言うのか』と言うなら、お前はかれらに言いなさい。『主はこう言われる。見よ、わたしは、この地に住むすべての住民と王座に着くダビデの子ら、そして祭司たちを(ぶどう酒で)満たす』と[2]」。罰を下そうとするお方はだれも容赦しません。だれかが「預言者[3]」だと呼ばれたからといって、その人に罪があれば、その人がいま言われたかしで満たされないということにはなりません。だれかが「祭司」と呼ばれ、一般人に比べい優れた名前を持っているように見えたとしても、神は、その人を見逃して、罪を犯しても罰せられないようにすることはございません。ところで使徒は、かれらについて書き記されたことは、「代々の終わりの差し迫ったわたしたちのために書かれたものです[4]」と言っています。ですからこれらの祭司たちのうちに  わたしはわたしたち司祭のことを言っております  罪を犯す者がいれば、あるいは民の周りに立つこれらのレビ人たちのうちに  わたしは助祭たちのことを言っております[5]  罪を犯す者がいれば、その人はこのような罰を受けることになるでしょう。これに対して祭司の祝福のようなものが存在しますが、この祝福については、神が許してくださるなら、やがて、預言者の言葉を吟味した後に、『民数記』を読んだとき、取り上げてみたいと思います。なぜなら『民数記』では、祭司に関する事柄が言われることになっているからであります。

次に神は、「そして祭司たちと預言者たち、そしてユダと、エルサレムに住むすべての住民[6]」を「酔いで満たし、かれらを、男を、その兄弟を、かれらの父たちを<そしてかれらの息子たちを>散らす[7]」と言われております。わたしたちはこの言葉も、次のように理解しましょう。すなわち神は、義人たちを集め、罪人たちを散らされる、と。それゆえ人々が東から移動しなかったときには、神はかれらを散らしませんでした。しかしかれらが「東から[8]」移動してきて、「さあ、わたしたちで町を建て、またその尖端が天まで届く塔を建てようと、互いに言い合った[9]」とき、神はかれらについて言われました。「さあ、われわれは降っていって、その地でかれらの言葉を混乱させよう[10]」。そしてそれぞれの人は、混乱させられ、地のそこかしこに「散らされました[11]」。イスラエルの民も、罪を犯さなかったときは、ユダヤにおりました。しかしかれらは、罪を犯して、世界のそこかしこに「散らされ」、あらゆるところに「離散した[12]」のです。

どうかあなたは、わたくしたち全員についても、何かこのようなことをご理解ください。「諸々の天に登録された長子たちの教会[13]」のようなものが存在します。諸々の天は、「シオンの丘、生ける神の都、天のエルサレム[14]」が存在します。幸いな人たちは、そこに集められ、一緒にいることになるでしょう。しかし罪人たちは、この世で懲らしめられ、互いに一緒にいることがありません。わたしはこの世に生きるある人たちが、国家に害を与えた人たちのだれかれの家族を、刑罰としてしかも責め苦によってどこかの島に追放しようと望み、あるところでは妻を、またあるところでは一人の息子を、また別のところでは別の人を「追い散らし」、苦難のときでさえ母がその息子に慰められ、兄弟がその兄弟によって慰められることないようにしているのを知っています。あなたは、不正な者たちについてもそのようなこと(が行われるの)をご理解ください。罪人であるあなたは、神の計らいによって何らかの辛辣な体験をしなければなりません。しかしそれはあなたが懲らしめの教育を受けることによって救われるためなのです[15]。またあなたが、自分のしもべや息子をたんに苦しめようとして懲らしめるのではないのと同じように、神もまた、み言葉によって回心しない人たちや手の施しようのない人たちを、苦しみから来る苦痛によって教育なさるのです。なぜなら神は、教育によって打たれるべきものを打たれるからです。こう書かれているとおりです。「エルサレムよ、お前は絶えず、苦しみとによって教育される[16]」と。ですから、教育を施す苦痛[17]が増すようにするために、苦しみを受ける者たちは互いに「散らされ」、これこれしかじかの者たちが一緒にいないようにされているのです。なぜなら苦痛の強度は、お互いの慰め合いによって和らげられかもしれなからです。



[1] Jr.13,13.

[2] Jr.13,12-13.

[3] Cf.Jr.13,13.

[4] Cf.1Co.10,11;9,10.

[5] le,gw de. tou.j diako,nouj

[6] Jr.13,13.

[7] Cf.Jr.13,13-14.

[8] Gn.11,2.

[9] Gn.11,3-4.

[10] Gn.11,7.

[11] Jr.13,14.

[12] Cf.Gn.11,4.

[13] Cf.Hb.12,23.

[14] Cf.Hb.12,22.

[15] i[na paideuqei.j seqh/|j

[16] Jr.6,7-8.

[17] o` paideu,wn po,noj

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