13  「そしてわたしはお前を、お前の知らなかった土地で、お前のすべての敵の奴隷とする」――たしかにあの民は、敵たちの奴隷となり、かれらの知らなかった土地に行きました――「なぜならわたしの怒りによって火が燃え立ったからだ。それはお前たちに向かって燃えるであろう[1]」。

この言葉と、民に向けて述べられた脅かしの言葉に次いで、上で祈った方は[2]、その祈りを完成し、既に言われた言葉に次の言葉を付け加えています。すなわち「あなたはご存知です。主よ、わたしを思い起こし、わたしを顧み、わたしのためにわたしを迫害する者たちに復讐してください。いつまでも堪えずに[3]」と。たしかに預言者がこの言葉を言ったとしておきましょう。なぜなら預言者も、非難された者たちによって迫害され、真理を受け入れなかった者たちによって憎まれたからです。たしかに預言者は、「真理」を語ることによって、それを聞く者たちの「敵になった」のです[4]。わたしたちの救い主もまた、それらの言葉を言われたとしておきましょう。キリストもまた、民によって迫害されたのです。そして「いつまでも堪えずに」と言っております。この「いつまでも堪えずに」とはどういうことでしょうか。あなたは民の犯したかずかずの罪をいつも堪えてきました。しかしわたしに対して敢えて犯した罪に対してはあなたは堪えないのです。たしかに神が堪えなかったのは、真実です。もしもあなたがご受難の時とエルサレムの陥落の時、そしてその町の破壊の時を検討しますなら、そしてあの民がキリストを殺害したとき、神がどのようにしてあの民をお見捨てになったのかを検討しますなら、あなたは、神がもはや「堪えて」あの民に対しなかったのがお分かりいただけるでしょう。もしもあなたがお望みであれば、次のことをお聞きください。ティベリウス皇帝の第十五年から神殿の破壊までに、四十二年が過ぎたということを[5]。実際、回心のために、特にこの民のなかから、使徒たちによって行われたしるしと不思議によって信じる人々が出るために、わずかの時間が与えられねばなりませんでした。



[1] Jr.15,14.

[2] 主語は救い主かエレミアのいずれかであるが、はっきりしない。

[3] Jr.15,15-16.

[4] Ga.4,16.

[5] Cf.C.Celse IV,22; Clément d’Alexandrie, Strom. I, xxi, 145,1-5;Tertulien, Adv. Jud. VIII.

 

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