では、「ああ、わたしは禍だ。母よ、わたしをどのような男として生んだのですか。わたしは全地で裁かれ断罪される男となりました[1]」という言葉を。わたしはこの言葉をエレミア以外の他の預言者が言うのはふさわしくないと思っています。というのは、預言者たちの多くは、(生まれて)いくらか時間が経った後、悪や罪に背を向けてから、預言し始めたからです。ところがエレミアは子どものときから預言をしております。また聖書から、例を引き出すこともできます。イザヤは次の言葉を聞きませんでした。「わたしはお前を胎内に形作る前から、お前を知っている。わたしはお前が母体から出てくる前に、お前を聖なるものとし、お前を諸国の民の預言者として定めた[2]」と。またかれは、「わたしはしゃべることができません。なぜならまだわたしは若いからです[3]」と言いませんでした。むしろかれは、みずからの預言のなかに書き記した幻を見たとき、かれはそれを見た上で次のように言ったのです。「ああ、わたしは惨めだ。なぜならわたしは汚れた唇を持ちながら、汚れた唇を持つ民の中に住んでいるから。しかもわたしは、万軍の主なる王をわたしの目で見たから[4]」と。そしてかれはこう言っています。「そしてセラフィムの一つがわたしのところに遣わされ、わたしの唇に触れて、わたしにこう言いました。『見よ、わたしはお前の不正を取り除いた。これでお前は罪から清められる』と[5]」。ですからイザヤは、以前に犯した数々の罪<の後で>、後に、聖霊にふさわしい者となり預言したのです[6]。他の預言者についても同様のことをあなたは見出すでしょう。しかしエレミアの場合には、そうではありません。エレミアは、まだおしめに包まれていたときから預言する霊によって飾られていて、子どものときから預言をしていました。それでかれは――先ずありきたりの解釈をいたしますと――「ああ、わたしは禍だ。母よ、わたしをどのような男として生んだのですか。わたしは全地で裁かれ断罪される男となりました[7]」と言ったのです。さて、わたしの先任者の一人は[8]、この個所を考察して、エレミアはこれらの言葉を自分の肉による母に向けて言ったのではなく、預言者たちを生んだ母に向けて言ったと言っております。ところで神の知恵<以外に>誰が預言者たちを生むのでしょうか。ですからエレミアは、「ああ、母よ、わたしは禍だ」。知恵よ、「あなたはわたしをどのような男として生んだのですか」と言っていたのです。福音書のなかでも知恵の子らのことが書き記されています[9]。「そして知恵は、その子らを遣わした[10]」と。

ですからこう言われているのです。「わたしは禍だ、母よ」、わたしの知恵よ、「あなたはわたしをどのような男として生んだのですか。わたしは裁かれる男となりました」と。では、「わたし」とは誰でしょうか。「わたし」は、非難や攻撃や、地上のすべての民への教えのために裁かれ、断罪されるためにだけ生まれているのです。もしもエレミアが、「あなたはわたしをどのような男として生んだのですか。わたしは全地で裁かれ断罪される男となりました」というこれらの言葉を言ったのであれば、わたしは「全地で」という言葉を説明することができません。なぜなら、エレミアは全地で裁かれたわけではないからです。それともわたしたちは、「全地で」という言葉を曲解して、「ユダヤ全土」と言ったらいいのでしょうか。たしかにかれの預言は、かれが預言していた当時、全地に達することはありませんでした。たぶんわたしたちは、エレミアが他の無数の個所でわたしたちの主イエス・キリストに代わりに言われていることを示しましたように、ここでも同じことを言うべきでしょう。始めにわたしは、「見よ、わたしはお前を諸国の民ともろもろの王国に遣わす。根絶やし、覆し、滅ぼし、建て、植えるために[11]」という言葉に関して述べました[12]。エレミアは、これをしませんでした。しかしイエス・キリストは、もろもろの罪の王国を根絶やし、悪徳の建物を覆し、これらの王国に代わって正義と真理がわたしたちのもろもろの魂のなかで君臨するようになさいました。ですからこれらのことをエレミアに当てはめるよりもキリストに当てはめるのが適切であったように、他の多くの事柄も、そして目下のことも、同様にすべきだと、わたしは思っています。



[1] Jr.15,10.

[2] Jr.1,5.

[3] Jr.1,6.

[4] Is.6,5.

[5] Is.6,6-7.

[6] Cf. Com.Jn XXVIII, 15 (13) §§ 122-123.

[7] Jr.15,10.

[8] Philon dans De confus.ling § 49.

[9] Cf.Lc.7,35.

[10] 聖書正典には見出されない。ただし『ルカによる福音』7,35では「知恵はその子らによって義とされる」とある。

[11] Jr.1,5.

[12] Cf.Hom.Jr.I, 6 s.

 

次へ