ではわたしたちは、既に祈ることを学んだわたしたちについて、(預言者エレミアは)何を預言しているかを見てみましょう。「主よ、わたしの力、わたしの支え、苦難の時のわたしの逃れ場。諸国の民は地の果てからあなたのもとに来て、『わたしたちの先祖たちは偽りの偶像を手に入れました<が>、益はありませんでした』と言うでしょう[1]」とあります。「諸国の民は地の果てから」神のもとに来ました。そして彼らは、「わたしたちの先祖たちは偽りの偶像を手に入れましたが、それらの偶像に益はありませんでした」。どうして「地の果てから」なのでしょうか。地には最初の人たちがおり、また最後の人たちもいるのです。単に最初の人たちと言うのではなく、地の属する最初の人たちとは誰でしょうか。この世の知恵ある人たち、高貴な生まれの人たち、お金持ちの人たち、身分の高い人たちです。最後の人たちとは誰でしょうか。「神は、この世で愚かなもの、軽んじられているもの、返り見られない、無きに等しいものを選び出されました[2]」。

ですから「諸国の民が地の果てから来るのです」。これはあたかも(諸国の民が)地上の最後の人々の中から、愚かな人々の中から、軽んじられている人々の中から、返り見られない人々の中から(来て)、「『わたしたちの先祖たちは偽りの偶像を手に入れました。しかしそれらの偶像に益はありませんでした』と言っている[3]」かのようです。何かしら真の偶像があって、それに対して偽りの偶像があると言われているのではありません。偶像は本性的に偽りであり、「それらの偶像に益はないのです」。



[1] Jr.16,19.

[2] Cf.1 Co.1,26-28.

[3] Jr.16,19.

 

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