第17講話

「うずらが声を上げた」から、「わたしが人間の日を望まなかったことを、お前は知っている」まで。


 

  わたしたちは、うずらは何であるかと検討するという有名な課題にたどり着きました。聖書はこのうずらについて、いま、次のように言っています。「うずらは声を上げて、自分が産まなかったものを集め、自分の富を作ったが、判断に欠けていた。彼の人生の半ばで、雛たちは彼を見捨てることになろう。そしてその終わりの日々に、彼は愚か者となる[1]」。うずらについて何が報告されているかを諸々の動物の本性に関する事柄から把握しなければなりません。わたしたちが、それは動物に関する事柄を知ることによって、いま述べられたうずらをより優れたものの中に位置づけるべきか、それともより劣ったものの中に位置づけるべきか知るようになるためです。確かにこの動物は極めて悪賢く、悪辣で、そして狡猾である言われています。そして狩人たちを欺き、狩人の足元を何度も回り、狩人をすぐ近くでかわして、巣に近づかないようにさせ、狩人をかわし雛たちが逃げたと察すると、自分も逃げ去ると言われています。また、(うずらは)まったく汚らわしい動物で、その雄たちは交接のために互いに一騎打ちをし、雄同志で交尾するといった具合です。ですからもしもこの動物が邪で、汚らわしく、狡猾で、しかも嘘つきであるならば、そのような動物をより優れたものの部類に入れ、それが救い主に関係づけることができると言うことは不敬と思われるのは明らかです。したがってもしもわたしたちが、敵対者の意味でこの動物を理解しようと望むなら、わたしたちの解釈全体が一貫したものであるかどうかに配慮しなければなりません[2]



[1] Jr.17,11.

[2] Cf. Philon, De conf.§14: e`pome,noi tw\/| th/j avkolouqi,aj ei`rmw/|)

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