第2講話

「異国のぶとうの木よ、どうしてお前は苦いブドウの木になってしまったのか」から、「たとえお前が灰汁で(体を)洗い、自分のために草を積んでも、お前は私の前で働いた数々の不正によって汚れている、と主は言われる」まで。


 

  「神は死をお作りにならなかった。また、神は生けるものたちの滅びを喜ばれない。なぜなら神は、万物を存在するためにお造りになったから。この世に生じたものは有益であり、それらのうちに滅びの毒はない。黄泉も地上を支配しない[1]」という言葉があります。そしてこの言葉を越えて更にもう少し先に踏み込んで、私はこう言いたいと思います。「では、死はどこから入ってきたのか」と。「悪魔の妬みによって、この世に死が入ってきた[2]」とあります。このように、もしも私たちの周囲に、何かしら最善のものがあるとすれば、それは神がお作りなったのであります。そして私たちが、私たち自身に対して、悪と罪を造ったのです。それゆえ、いまの場合にも、自分の魂のなかに甘さとは正反対の苦味を持っている人たちに対して    この苦味は神がその人たちの魂にお供えになったものですが    、この預言書の朗読のは、まるで問いかけるかのように、こう言っているのです。「異国のぶとうの木よ、どうしてお前は苦いブドウの木になってしまったのか」と。それはあたかも、次のことを言っているかのようです。すなわち、跛行を作ったのは神ではなく、むしろ神はすべてを健全な足を持つものとしてお作りになった。そして(その後で)足の不自由な人が跛行する原因が生じたのだ。神は、もともとすべての手足を健康なものとしてお作りなった。しかし、それらのうちの一部が(不自由に)苦しむような何らかの原因が生じたのだ、と。

  最初の人間の魂も、これと同じような仕方で、「像に即して」造られたのであります。いやそればかりではありません。すべての人間の魂が、このような仕方で「像に即して」造られたのです。たしかに「我々は人間を、我々の像と似姿とにかたどって作ろう[3]」という言葉は、すべての人間に及ぶものなのです[4]。しかも多くの人々がアダムのなかに理解する(像に即して造られたあり方という)即像性[5]は、アダムがその罪のゆえに「土の像[6]」を身に帯びたとき、彼に付け加えられたものに先立っていました。これと同様にすべての人間においても、神の即像性は、邪悪の像よりも古いものなのです[7]。私たちは罪人ですから、「土の像を身に帯びてしまいました[8]」。ですから私たちは悔い改めて、「天にあるものの像」を「身に帯びるようにしようではありませんか」。もともと被造物は、天にあるものの像のうちに造られたものなのです。

  このようなわけで、み言葉は、いまの個所で、罪を犯した人たちに責めるような調子で問いかけているのであります。「異国のぶとうの木よ、どうしてお前は苦いブドウの木になってしまったのか。私はお前を、豊かな実りを結ぶ真実の全きブドウの木として植えたのだ[9]」。これは、先ほど言われた言葉であります。そして私は、神が植えられたものは人間の魂という美しいブドウの木でしたが、一人ひとりの人間は創造主のみ旨に反するものに変わってしまったのだということを、あなた方に確信させるために、この言葉をもう少し取り上げてみたいと思います。「しかし私は、お前を、豊かな実りを結ぶ全きブドウの木として植えたのだ」。私は、部分的に「真実の」ブドウの木として、お前を植えたのではない。私は、一面では真実であり、また別の面では偽りのブドウの木を植えたのでもない。「私はお前を、豊かな実りを結ぶ真実の全きブドウの木として植えたのだ」。「私はお前を、真実の全きブドウの木として」創造したのに、「どうしてお前は変わってしまったのか」。お前は「どうして苦いブドウの木に変わってしまったのか」、どうして「異国のブドウの木」になってしまったのか。



[1] Sg.1,13-14.

[2] Sg.2,24.

[3] Gn.1,26.

[4] Cf. Com.Jn. XIII, 50 (49) §331. オリゲネスがこの「即像性」をすべての人間に当てはめる理由は、グノーシス派の異端と対抗するためであった。グノーシス派は、人間の魂を悪に運命づけられているものと、救いに運命づけられているものとに分けていた。

[5] to. kateivko,na:オリゲネスの人間論に頻出する言葉。

[6] 1 Co.15,49.

[7] Cf.Hom.Lc.XXXIX, 5 :人間には二つの像があります。一つは、人間が創造のときに神から受け取った象で、創世記にこう書かれている通りです。「神の像と似姿に従って」と。もう一つは、地の人間の像です。これは、人間がその後の不従順と罪のゆえに受け取ったものです。

[8] 1 Co.15,49.

[9] Jr.2,21.

 

 

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