13  そして彼は付け加えます。「そして諸国の民は、彼において(主を)賛美し、彼、すなわちイスラエルにおいて神をたたえる。なぜなら主は、ユダの人々とエルサレムに住む人々とにこう言われるからだ[1]」と。主は、諸国の民の出身者たちに言われました。そしてイスラエルの出身者の人たちにも言われました。さらに、ユダの出身の人たちにも語っております。私は、一昨日[2]ユダと、エルサレムに住む人々に関して述べた比喩的解釈[3]を思い出します[4]。私たちは、もしも神がお許しくださるなら、エルサレムに住むことになるのです。「宝のあるところに、心もある[5]」のですから、もしも私たちが「天に宝を積め[6]」ば、私たちは、天のエルサレムに心を持っているのです。この天のエルサレムについて、使徒は次のように言っております。「(聖書に)書かれているように、天のエルサレムは自由(の女)で、それは私たちの母です[7]」云々と。

  それで「主は、ユダの人々とエルサレムに住む人々とにこう言われるのです。あなた方は自分の耕作地を新たにせよ。いばらに種をまいてはならない[8]」と。このみ言葉は、先ず誰よりも、教師たちに言われております。それは、教師たちが、聞き手の魂のなかに新たな耕作地を作る前に、語られたことをその人たちに託さないようにするためです。実際、「鋤を手にした[9]」教師たちが、聞き手の人たちの魂を「よい」「立派な土地」に見立てて、そのなかに新たな畑を作るとき、彼ら種まく人々は、「いばらに」種をまくことにはならないのです[10]。そころがもしも、鋤に手を掛ける前に、そして聞き手の主導的能力のなかに新たな耕作地を作る以前に、聖なる種子を    すなわち、おん父についての教え、おん子についての教え、聖霊についての教え、復活についての教え、懲らしめ[11]についての教え、永眠[12]についての教え、律法についての教え、預言者たちについての教え、一口に言えば(聖書に)書き記されている一つひとつの事柄に関する教えという聖なる種子を取ってまく人がいれば、その人は、先ず「あなた方は自分の耕作地を新たにせよ」という掟を破ることになるのです。そして次に、「あなた方は、いばらに種をまいてはならない」という掟を破ることになるのであります。

  ところがこれを聞いている人のなかには、私は教えていない。私はそのような掟に服していないと言う人がいるでしょう。しかしあなたも、あなた自身の耕作者なのです。あなたも、いばらに種をまいてはなりません。どうかあなたは、万物の神があなたにお委ねになった地所を新たな耕作地にしてください。この地所をご覧ください。そしてどこにいばらがあるか見てください。どこに「この世の思い煩いや富の<誘惑>、(その他の)誘惑[13]」があるのでしょうか。あなたの魂のなかにいばらを見つけたなら、理性的な鋤を探してください。イエズスは、この鋤について次のように言っております。「鋤を手にかけてから後ろを向く者は、神の国にふさわしくない[14]」と。あなたは鋤を探し、それを見つけたら、聖書のなかから、清い耕作者である牛を集めなさい。そしてあなたは、土地を耕し新たな耕作地にしなければなりません。しかも、それがもはや古いものとならないよう、あなたはその土地を新しくしなければならないのです    「古い人をその行いとともに脱ぎ捨て、深い知識へと進むように新たにされる新しい人を身にまとう[15]」ことによって。あなたは、あなた自身の畑を作ってください。教える人たちから種を取りなさい。律法から種を取りなさい。預言者たちから取りなさい。福音書から取りなさい。使徒たちの言葉<から>。そして、それらの種を取ったら、暗記と練習によって魂にまきなさい。それらの種は、ひとりでに成長する[16]ように見えるでしょう。しかし真実は、それらが暗記された後で(ひとりでに)育つのではありません。神がそれらを成長させるのであります。「私は植えました。アポロは水をやりました。しかし神が成長させてくださったのです[17]」。そしてもしも誰かが、聖書を理解することができたなら、その人は新しい畑を作ったのです。そしてその人は新しい畑を作ることによって、もはやいばらのなかには種をまかなかったのです。それらの種は、神の経綸によって、すぐに穂とならないように、(あらかじめ)定められています。むしろそれらは、『マルコによる福音』にありますように[18]、まず草となり、次に穂となります。そしてそれから、「刈り入れのため[19]」の準備が整うように定められているのです。それらの種が、刈り入れの準備を整えたとき、刈り入れのために遣わされた者たちがやって来るでありましょう[20]。刈り入れのための準備ができたとき、み言葉が話し掛けたあの人たちがやって来るでありましょう。「あなた方は自分の目を上げて、畑を眺めてみなさい。畑は、すでに刈り入れを待って白くなっている[21]」のです。

  ですから(エレミアは)私たちに言うのです。「あなた方は自分の耕作地を新たにせよ。いばらに種をまいてはならない[22]」と。もしもあなたが自分の魂を清める前に、いばらを持ったまま、教師のところに、あるいは教えることができる人や教えることができると思っている人、あるいは教えることを請け負う人のところに近づいて、その人に諸々の学識や霊的な種子を乞うとすれば、あなたは、「いばらに種をまいてはならない」という掟に違反することになるのです。



[1] Jr.4,2-3.

[2] prw,h;「最近」とも訳せる。

[3] tropologi,a

[4] Cf.Hom.IV,2 s.

[5] Cf.Lc.12,34.

[6] Cf.Mt.6,20.

[7] Ga.4,26.

[8] Jr.4,3.

[9] Cf.Lc.9,62.

[10] Cf. Hom.Nombr.XI.

[11] ko,lasij

[12] a,na,pausij

[13] Cf.Mc.4,19;Lc.8,14.

[14] Lc.9,62.

[15] Col.3,9-10.

[16] Cf. Mc.4,28.

[17] 1 Co.3,6.

[18] Cf.Mc.4,18.

[19] Jn.4,35.

[20] Cf.Mt.9,38.

[21] Jn.4,35.

[22] Jr.4,3.

 

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