第8講話

主は、ご自分の力において大地を造られたから、「人間はみな、知識から離れて愚かになったまで


 

 預言者は、神の力、神の知恵、そして神の英知という、神に属するいわば三つの徳を取り上げて、そのそれぞれに固有の業を<割り当てております>。すなわち、力には大地を、知恵には居住地を、英知には天を割り当てております[1]。次のように言う(聖書の)み言葉をお聞きください。「主は、ご自分の力において大地を造られ、ご自分の知恵において居住地を上に上げ、ご自分の英知において天を広げられた[2]」と。私たちもまた、私たち自身の大地のために、神の力を必要としています。なぜなら、「お前は土である[3]」と、アダムは言われているからです。私たちは、神のみ力がなければ[4]、「肉の思い[5]」にかなわぬことを成し遂げることができません。しかし、「大地に属する肢体を死なせれば[6]」、()霊のみ旨にかなう事柄が行われるのです[7]。なぜなら使徒によりますと、「()霊によって肉の諸々の行いは、死に至らしめられる[8]」からであります。

こういうわけで「主は、ご自分の力において大地を造られる」のです。そしてもしもあなたが、この大地に考察を向け、しかも『ヨブ記』に書き記されたことを考慮に入れることができるとすれば  つまり、より正確な写本のなかに私たちが見出しますすように、「神は大地を無の上に据えられた[9]」ということを考慮に入れますなら、大地は、神の力によって、可能なかぎり平衡に保たれているのに[10]、あなたはお気づきになるでしょう。

私たちは、居住地の方に進んでみましょう。私は、人の住む魂を知っております。私は、人が住まず荒れ果てた魂を知っております。もしも魂が神を持たないなら、<もしも>魂がキリストを  すなわち、「私と私の父とは、(私を愛し、私の言葉を守る)その人のところに行き、その人のもとに住む」と言われるキリストを持たないなら、もしも魂が聖霊を持たないなら、その魂は荒れ果てているのです。これに対して、魂が神に満たされ、キリストを持ち、聖霊がそのなかにいるとき、魂は、(人の)住まいとなっているのです。このように、おん父とおん子と聖霊とが人間の魂のなかに内在することは、聖書のなかで多種多様に語られております[11]。たとえばダビデは、告白詩編のなかで、(自分を助ける)いくつかの霊について、おん父に頼んでいます。「(神よ)指導する霊によって、私を支えてください[12]」、「(神よ)私の腸に、直き霊を新たにお造りください[13]」、「そしてあなたの聖なる霊を、私から取り去らないでください[14]」と。これらの三つの霊は何でありましょうか。指導する霊は、おん父であり、直き霊はキリスト、そして聖なる霊は聖霊であります。

以上申し述べましたことは、居住地が他ならぬ神の知恵によって創造されたということを示すためであります。実際、「知恵は、町で権威を持つ十人の有力者に優って、賢者を助ける[15]」。「しかし知恵と懲らしめとを無視する者は惨めであり、彼の希望は空しく、その労苦は無益である[16]」と、ソロモンの知恵と銘打たれた知恵は言っております。こういうわけで、居住地は、神の知恵において上に上げられるのですから[17]、私たちも力のかぎりを尽くして、たぶん(上から)落ちてきたと思われる私たちの居住地が再び上に上げられるように願いましょう[18]。実際、私たちが、悪行の場に身を置いたとき、居住地は落ちたのです。「私たちが罪を犯し、冒涜を働き、不正を重ねた[19]」とき、この居住地は(上から)落ちてしまいました。そしてそれは、再び上に上げられることを切望しているのであります。

ですから、神は、「居住地を上に上げられる方[20]」なのです。しかしもしもあなたが、この「居住地を上に上げられた」という言葉を、以上のような意味で取らず、むしろ居住地をより一般的な意味で理解するのであれば、どのようなことから、神は居住地を上に上げられるお方となっているのかをご探求ください。居住地の転落[21]を検討してください。あなたは、居住地の転落を発見することによって、その立ち上がり[22]をも見出すことでありましょう。ですから、この居住地に誰かがいるとして、もしもあなたがこの居住地を、このような(より一般的な)意味で理解するのであれば、その人は、上に上げられることを必要とし、他方、落ちなかった者は、上に上げられることを必要としないということは明らかです。また、この居住地いる人たちが、それぞれ(自分の)罪によって転落したこと、そして主が、弾き出された者たちを立ち上げ、転落した者たちを支えられる方であることは明らかでしょう[23]。「すべての人はアダムにおいて死ぬのです[24]」。居住地は、このような意味で転落し、「キリストにおいてすべての人が命ある者とされる[25]」ように、立ち上がりを切望しているのです。

したがって、居住地に関する問題は、二通りの仕方で与えられたことになります。一つは、個々の人に関してであり、私は、どのような意味でそれぞれの魂が居住地であり、あるいは荒れ果てた土地であるのかを示し、また一つは、魂が身を置く居住地の説明に関してでした。



[1] Trei/j oi`onei. avreta,j paralabw.n o` profh,thj tou/ qeou/( <th.n> ivscu.n auvtou/ kai. th.n sofi,an auvtou/ kai. th.n fro,nhsin auvtou//( e`ka,sth| auvtw/n oivkei/o,n ti e;rgon <avpone,mei>( th/| me.n ivscu,i? th.n gh/n( th/| de. sofi,an th.n oivkoume,nhn( th/| de. fronh,sei to.n ouvrano,n)

[2] Jr.10,12.

[3] Gn.3,19.

[4] cwri.j de. th/j duna,mewj tou/ qeou/

[5] Rm.8,6.

[6] Cf.Col.3,5.

[7] e;stai to. kata. to. bou,lhma tou/ pneu,matoj

[8] cf.Rm.8,13.

[9] Cf.Jb.26,7.

[10] kata. to. mesai,taton kei/tai

[11] Tau/ta de. poiki,lwj kai. diafo,rwj evn tai/j grafai/j le,getai( to. ei=nai to.n pate,ra kai. to.n ui`o.n kai. to. a[gion pneu/ma evn th/| tou/ avnqrw,pou yuch\/|)

[12] Ps.50,14.

[13] Ps.50,12.

[14] Ps.50,13.

[15] Qo.7,29(LXX).

[16] Sg.3,11.

[17] Cf.Jr.10,12.

[18] boulw,meqa dh. kai. auvtoi. avnorqwqh/nai h`mw/n th.n oivkoume,nhn ta,ca pesou/san

[19] Cf.Dn.9,5.

[20] Jr.10,12.

[21] th/j oivkoume,nhj ptw/sij

[22] avno,rqwsij

[23] Cf.Ps.144,14.

[24] 1 Co.15,22,

[25] 1 Co.15,22.

 

次へ