聖書

 

アレクサンドリアでギリシア人として生まれた彼は、当然、ギリシア語を母国語とするから[1]、彼の使っていた聖書は、いわゆる七十人訳聖書――勿論これは旧約聖書――とギリシア語で書かれた新約聖書である[2]。しかし彼は、旧約聖書に関しては、必ずしもギリシア語の七十人訳に縛られていはいなかった。彼は、聖書全体には、文字通りの意味の他に、いわゆる霊的な意味が隠されていると信じていたが、その霊的意味の探求には、文字通りの意味の矛盾や相違が手がかりになるとして、旧約聖書の他の諸訳との比較を試みている。その目的のために、彼は、有名なヘクサプラ(六欄組聖書)を編纂した。オリゲネスは、このヘクサプラの必要な写し、あるいはギリシア語訳だけを併記したテトラプラ(四欄組聖書)を参照しながら講話を進めたと思われる[3]  

オリゲネスは、自分の記憶を頼りに、聖書について語っていると言われるが、聴衆を前にした実際の講話では、やはり聖書を目の前に置いていた。たとえばエゼキエル書講話では、「聖書を手に取って、それを解釈しようと努める私・・・[4]」、民数記講話では、「私たちに朗読されたことを、いま私たちは手の中に持っています[5]」と言われている。  

勿論オリゲネスは、講話を進めるに当って、朗読された箇所だけを目の前にしていたわけではない。彼は、おそらく記憶を頼りに、聖書箇所を無数に引用している。また彼は、手元に置いた聖書の諸版の読みに従わず、彼以前の著作家に共通する聖書の読みに基づくこともある。たとえば、エレミア書講話V, 14に引用されたヨブ記14, 4-5は、七十人訳やヘブライ語原文には見出されず、ローマのクレメンス[6]、アレクサンドリアのクレメンス[7]、ユスティノス[8]、テルトゥリアヌス[9]の諸著作に同じ形で引用されているのである。おそらくこのことは、初代教会において新約聖書と並行してイエス語録なるものが存在していたのと同様に、教理教育用に編纂された聖句集――いわゆる証言集(testimonia)――のようなものが存在していたことを暗示しているのかもしれない。



[1] 彼は、ヘブライ語を熟知していなかった。Cf.Hom.Jr.XVI,10 :さて、次に、別の預言が存在します。私にはどういうわけか分かりませんが、私たちはそれを七十人訳に見出さず、むしろ他の諸版に見出しています。したがってそれがヘブライ語版にあるのは明らかです。」。

[2] 特に四福音書とパウロの書簡が権威を持っていたが、勿論、新約聖書の正典性は、教会によって異なっていた。

[3] Cf.Eusebios, HE,VI,16,1-4.

[4] Hom.Ez.II,2: me qui accipio librum sanctum et nitor eum interpretari...

[5] Hom.Nb.XII,2: Set et haec nunc habemus in manibus, quae recitata sunt nobis; puteus est et omnis simul sciptura legis et prophetarum; evangelica quoque atque apostolica scriptura simul omnis unus est puteus.

[6] Clemens Rom., 1Ep.ad Cor. 17,4.

[7] Clemens Alex.,Strom.III,xvi,100,4(GCS.15,p.242,11); IV,xvi,106,4 (GCS. 15, p.295).

[8] Justin, Dial.15, 7; 28,2.

[9] Tertullianus, Adv. Marcionem, I, 20(CSEL 47, p.316, 18); IV, 1(p.424, 15); V, 4(p.582, 14).

 

次へ