結論

 

 

 おそらくキリスト者オリゲネスの思想や人格の研究は、当時の具体的な歴史的状況を離れても成立しよう。しかし彼の思想や人格の研究でもって、オリゲネスのすべてが我々に可能な限り明らかにされるのではない。彼は、幼い頃は別にしても、その生涯のすべてを、初めは文学学校教師として、後には教理教育者および説教者(=教師)として送ったのであった。そして教育者オリゲネスの生きた場所は、聖書研究に専念した自室と教場であった。自室でどのように暮らしていたかは、エウセビオスが提供する若干の資料に基づく以外に知る由もない。エウセビオスによれば、少なくとも教理教育に専念した頃には、奢侈を斥けて清貧に耐え、節食や断食をし、二着の外套を持たず、靴もはかず、夜は床に直接身を横たえ、あるいは寝る間を惜しんで聖書研究に没頭し、昼間は教理教育に全力を注いだ[1]。しかし自室でどのように暮らしていたかは、それ以上のことは分からない。夜は自室で、目を傷めない程度に、薄明るい灯火の下でパピルス紙の巻物を広げては沈思し、その思索の成果を書き綴り、昼間の授業に備えたことだろう。昼間の教場は二つあった。一つは、本研究で取り上げた教会における説教である。その具体的状況は、総じて今日のキリスト教の集会と異なるものであるとは思われない。本研究の叙述を通して、ある程度オリゲネスの説教の風景が身近なものに感じられるのではないだろうか。もう一つの教場は、教理教育学校(学塾)である。そこでは哲学と聖書の講義がなされた。そしてその具体的状況については、カイサレイアにおいてオリゲネスから直に教えを受けたグレゴリオス・タウマトゥルゴスの『謝辞』が彼の講義風景について、いささか修辞に流されているが正確な情報を提供してくれる。しかしそれらの情報に基づいて、彼の講義風景を再現し、彼の教師としての生き様を描写することは、別の機会に譲らなければならない。



[1] Cf.Eusebios,op.cit.VI,3,9-12.

 

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