盗用厳禁


 

オリゲネスの『エレミア書講話』の歴史的背景

――エレミア書講話の和訳によせて−−

 

朱門 岩夫

 

最終更新日2021/04/26

 


 

 

本研究は、筆者がオリゲネスの『エレミア書講話』を和訳したのによせて、その理解を助けるために書いた研究用の解説を、その歴史的背景に的を絞ってまとめたものである。しかし歴史的背景といっても、その講話に読み取れるオリゲネスの思想の成立要因を歴史的に探ることではない。本研究の目的は、むしろ、その講話の行われた当時の集会の具体的現場を可能な限り再描写することである。では先ず、本論に入る前に、この講話を和訳したことの意義、および、この講話の行われた場所と年代を簡単に述べておきたい。  

オリゲネスの『エレミア書講話』は、現存するオリゲネスの講話としてはその大半がギリシア語原文で伝わる唯一の作品である。その点でこの講話は、ギリシア語を母国語とする説教者オリゲネスの真実の姿を、多少とも潤色の疑いのあるラテン語訳の講話にもまして、もっとも忠実に表している。オリゲネスの思想や人格を神学的哲学的観点から総合的に論じた優れた研究書は枚挙に暇がない。また、彼の生涯について詳細多岐にわたって論じ、その事跡の年代確定を試みる研究書も多い。それ故いずれの分野の研究においても、この凡庸な筆者は、それに書き加えるべきものを何も持たないが、それでもまだ、十分な解明がなされたかった側面があると思われる。それは、教理教育者、聖書研究者、説教者としてのオリゲネスの生き様の歴史的な描写である。その点で、彼の肉声を伝える『エレミア書講話』は、オリゲネスの真に具体的な生き様に迫るまたとない資料である。その講話を和訳した意義は、ひとえにそこにある。  

この講話が行われた場所は、P・ノータンによると[1]、カイサレイアであり、それが行われた年代は、紀元後二四二(±二)年、ローマ皇帝ゴルディアヌス帝の時代であり、迫害の嵐も一先ず止んで平穏な時期を迎えていた。オリゲネスは、この皇帝の時以来、カイサレイアにおいて聖書研究の成果を次々と公表することになる。  

 

 

本文

 

聖書講話と長老職

当時の集会

参加者

聖書

修辞

結論

 



[1] Pierre, Nautin, Sources Chrétiennes(=SC),No232 :Origène Homélies sur Jérémie, Introduction, p.1. 彼は、オリゲネスの作品の文献学的歴史的研究で大きな業績をあげた。なお本研究は、ノータンの叙述と有賀鐵太郎オリゲネス研究(著作集一)創文社1981年に負うところが非常に大きい。有賀の研究は、1943年の初版刊行以来、その学術的価値を失っていない。