七・八世紀の砂漠の祈り
イエズスの祈りは、シナイ山に関連づけられた3人の著作家によっても推奨されている。それは、聖ヨハネ・クリマコス(7世紀)とかれの2名の追随者、聖ヘーシュキオス(8?―9世紀)と聖フィロテオス(9?―10世紀)である。現代の専門家のなかには、イエズスの祈りを、いわゆる「シナイ山の霊性」(Sinaite spirituality)の典型的な表現であると見なす者もいるが、これは誤解を招きやすい。すでにわれわれが見たように、この祈りの最初の証拠は、別のところにある。シナイは、この祈りを産み出したというよりも、伝達する役目を果したのである。また、これら3人のシナイの著作家はいずれも、祈りを唱えるときに使用する正確な定式を具体的に指定してはいない。
クリマコスは、かれの同時代人、証聖者マクシモスが、キリスト論のなかで取ったのと同じような立場を、修道神学のなかで取っている。両者とも、それまでの伝統にあったまとまりのない糸を手繰り寄せ、創造的に統合した総合者であった。クリマコスの著作「神的上昇の階梯」(The Ladder of Divine Ascent)は、こうして、修道的霊性の「規則書」(directory)を生み出すという、瞠目すべき成功を収めた最初の企てとなった。この著作は、いまだに広く読まれ、人気を集めている。もともとそれは、修道士たちのために認められたもので、毎年、四旬節の間に各修道院で正規に読まれることになっているが、多くの一般の正教の信者たちによっても高く評価されている。クリマコスは、「砂漠の師父たちの言葉」(VApofqe,gmata)にかなり依存している。と同時にかれは、ディアドコスと同じように、エヴァグリオスの思潮とマカリオスの思潮とを結び合わせている。エヴァグリオスから、かれは、エヴァグリオスのオリゲネス主義的側面を切り捨てつつ、自分の専門用語の多くと実践的な教えとを引き出している。かれは、マカリオスの講話を明示的に引用してはいないが、直接的な個人的体験(direct personal experience)を繰り返し強調する点で、その講話にかなり近い。しかしなによりもかれに大きな影響を与えたのは、ガザ学派の形成者といえるバルサヌフィオスとヨハネ、そしてドロテオスである。もっともかれが、これらの人たちに名指しで言及することは一度もないが・・・。ディオニュシオスからの影響を受けた確かな形跡はまったくない。
「階梯」の大部分は、実践的生活
諸情念に対する戦いと、従順、謙遜、識別などの基本的な諸徳の獲得を取り扱っている。「階梯」の叙述のうち、「喜びを造り出す悲しみ」(joy-creating sorrow)と、洗礼の恵みの更新と見なされる涙の恵みとを扱う第7階梯の項は、重要である。涙は、悔悟(penitence)の表現であるばかりか、神の赦しに向けられた愛に満ちた応答である。その涙は、「苦い」ものであると同時に「甘美」である。「平静さ」は、愛に密接に結びつけられている。クリマコスは、この後者の愛に、最終項の第30階梯を当てている。そしてかれは、マクシモスを思い起こさせる言葉で、愛を、すべての霊的努力の究極目標として、誉めたたえる。「階梯」の最後の言葉は、「コリントの教会への第1の手紙」第13章第13節から取られている。「愛は、これらすべてのもののうちでもっとも偉大」。
クリマコスは、祈りについての教えのなかで、わずかの言葉で祈ることを強調する。「簡潔を旨として、祈りなさい。あの収税人と放蕩息子は、ほんの僅かの言葉で神に赦されたのです」。わたしたちの目標は、片言、簡潔さであって、多言、冗長さであってはならない(Step 28 [1129D, 1132AB];ET,pp.275-6)。かれは、「階梯」のなかでたった3回しか、イエズスの祈りに言及していないので、それが、この作品全体の中心テーマであると考えることはできない。しかしこのたった3回の言及が、著しい影響を持つことになった。かれは、「イエズスの祈り」(イエースー・エウケー)という言葉を実際に使った、ギリシャ語圏最初の著作家なのである。かれはそれを、片言的な(モノロギストス)祈りと呼び、ディアドコスと同じように、われわれが眠りに落ちないように、その祈りを唱えることを勧めている(Step 15[889D],p.178)。かれはその祈りを、悪霊どもに対する有効な武器と考える。「あなたの敵を、イエズスのみ名で打ちのめしなさい」(Step 21[945C],p.200)。かれがこの祈りを、静寂(ヘーシュキア)に結び付けているのは、いかにも意味深い。「静寂は、思いなしの除去である。・・・ 静寂は、絶えず神を礼拝し、神を待ち望むことである。イエズスの想起を、あなたの呼吸と一つに(united)しなさい。そうすればあなたは、静寂の本当の値打ちを味わうことができるだろう」(Step 27 [1112A-C],pp.269-70。かれがここで、連続性をあからさまに強調していることに注意すべきであろう。祈りは、呼吸と同じように、不断でなければならないのである。クリマコスが、「祈りは、思いなしの除去である」(On prayer,71)というエヴァグリオスの言い回しを採用している点にも注意すべきである。「階梯」の著者にとっては、ディアドコスにとってと同様、聖なるみ名の喚呼は、心の内的な静寂に入るための手段であり、集注的な祈りに到達するための方途なのである。
クリマコスがイエズスの祈りにほんの数回しか言及しなかったのに対して、ヘーシュキオスは、この祈りを、かれの著作「警戒と聖性について」(On Watchfulness and Holiness)全体をとおして何度も現れる中心的テーマにしている。ヘーシュキオスは、「警戒」という言葉
ギリシャ語はネープシスで、「素面」と訳されるときもあるを広い意味で使っている。それは、用心(vigilance)、注意深さ(attentiveness)、思いなしと心の監視(keeping guard)を意味し、また、諸徳の実践全体を含んでいる(1-6)。警戒を維持する王道は、イエズスを呼び求めることである。「注意深さは、いかなる思いなしによっても乱されない心の静寂(h`suci,a)である。この静寂のなかで、心は呼吸し、際限なく止むことなく、ただひたすらイエズス・キリスト・神の子のみ名を喚呼する」(5)。イエズスの祈りの教えのなかでかれは、このイエズスの祈りという語句を頻繁に使っている特に2つのことを強調している。喚呼は、できるかぎり連続的であるべきである。そしてそれは、思いなしや心象(image)を含んではならない。ディアドコスやクリマコスとってと同様に、かれにとっても、イエズスの祈りは、エヴァグリオスのいう意味での「清らな」(pure)祈りへと立ち昇る上昇の小道なのである。ヘーシュキオスは、イエズスの祈りについて、目立って魅力的な仕方で著述し、それが心にもたらす喜び、甘美さ、光の感覚を強調している。「雨が地に降れば降るほど、地はますます柔らかになる。それと同じようにわれわれが、キリストの聖なるみ名を呼び求めれば呼び求めるほど、そのみ名がわれわれの心の大地にもたらす喜びと歓喜は、ますます大きなものとなる」(41)。ヘーシュキオスの思想には、クレルヴォーの聖ベルナルドウス(c.1090-1153)やハンポールのリチャード・ロール(1300-49)のような西欧の中世の著作家たちによって表明された、イエズスのみ名への熱烈な信心を思い起こさせるものがたくさんある。
フィロテオスは、かれのシナイの前任者たちの歩みにほぼ忠実に従って、イエズスの祈りを、断片化された自我を「まとめ合わせる」ための手段と見ている。「イエズス・キリストの想起によって、あなたの散漫な知性を一点に集注させなさい」(Texts on Watchfulness,27)。この「想起」は、心のなかでの光のヴィジョンへと、祈る者を導く。「祈りによってそのみ名を喚呼されたイエズスは、近寄ってきて、心を光で満たしてくださるだろう」(29)。「われわれは何時いかなる時でも、力のかぎりを尽くして、霊魂の鏡を曇らすさまざまな思いなしから、知性を護るようにしよう。なぜなら、この霊魂の鏡のなかでこそ、おん父なる神の知恵であり力であるイエズス・キリストは、ご自分の輪郭を描き出し、ご自身を眩く照り返されるからである」(23)。「眩く照り返される」という言葉のギリシャ語は、フォーティノグラフェイスタイ(fwteinografei/sqai)という語で、それは文字どおりには、「写真に撮られること」を意味する。清らな霊魂は、キリストの神的な光が印される写真感光板なのである。フィロテオスがここで、新神学者聖シメオンと聖グレゴリオス・パラマスの「光神秘主義」(light mysticism)への方向性を示しているのがわかる。
3人のシナイの著作家はみな、イエズスのみ名の喚呼を呼吸と結びつけている。「イエズスの想起を、あなたの呼吸と一つにしなさい」(Climacus,Step 27)。「イエズスの祈りを、あなたの呼吸に貼り付けなさい」(Hesychius,182;cf.5,170,187,189)。「われわれは常に、神を吸い込まねばならない」(Philotheus,30)。このような表現は、たんなる隠喩すぎないのではないだろうか。それは、イエズスの祈りを呼吸のリズムに合わせるための特別な技法を示しているのだろうか。それに答えるのは、難しい。コプト語のマカリオス講話集(Coptic Macarian cycle;7?―8世紀)には、ある種の呼吸の技法を明らかに示す、たんなる類比以上の表現がいくつか見出される。しかしギリシャの伝統では、そのような技法への紛うことなき最初の言及は、13世紀の偽シメオンおよび静観主義者(hesychast)ニセフォロスに至って、初めて見出されるのである。