付録

アフリカヌスからオリゲネスへの手紙

最終更新日2013/01/15


 

 

 アフリカノス[1]から、私の主・御子において、真に尊ぶべきオリゲネスへ、ご挨拶を申し上げます。

(1) あなたが無知な人物[2]と神聖な対話をなさっていたとき、あなたは、若年のダニエルの預言に言及なさいました。そしてそのとき私は、当然のことながらそれを快く受け入れました。しかしながらどうしてあなたが、聖書のその部分が疑わしいものであることにお気づきにならなかったのか、私には不思議でなりません。確かにその物語は格別に優美な作品ですが、比較的新しく捏造された作品であることが多くの仕方で証明されるのです[3]

 スザンナが死ぬように命じられたとき、その預言者は、霊に捕らわれて、その判決は不正であると叫びました[4]。先ずダニエルは、別の仕方で、すなわち機会があれば常に、諸々の幻視や諸々の夢によって預言し、更にはみ使いの出現に遭遇しています。しかし彼が、預言的な霊感[5]によって預言することはありません[6]。  次に彼は、このように驚くべき仕方で言明した後、不可解極まりない仕方で彼ら(スザンナを断罪した二人の長老たち)[7]を反駁しています。その反駁の仕方たるや、フィリスティオンのミモス劇でさえ行っていないものです[8]。実際、彼は、霊による非難では満足せず、彼ら(二人の長老)を離れ離れにして、各々に、彼女がどこで姦通を犯しているのを見たか尋ねています。そして(彼らの)一人が、「かしわの木」(pri/noj)の下でと言うと、ダニエルは、天使が彼を「切り分けるだろう」(pri,sein)と答え、「乳香樹」(sci/noj)の下でと言った他方の人に対しては、「切り裂かれる」(scisqh/nai)と言って同じように脅しています[9]。  なるほどギリシア語の発音では、それらの言葉は期せずして同じ響きになります。「切り分けること」(pri,sai)は「かしわの木」(pri/noj)と、「切り裂くこと」(sci,sai)は「乳香樹」(sci/noj)と。しかしヘブライ語では、まったく異なっていま。またユダヤ人たちの間で旧約に属するものとして伝えられているすべてのものは、ヘブライ語からギリシア語に訳されています[10]



[1] ユリウス・アフリカヌスの生没年や定住地は不詳であるが、エウセビオスによると(HE.VI,29.1 et 31.1)、ゴルディアヌス帝の治世(238-244)によく知られたようである。幾つかの歴史年代的な作品が知られている。

[2] オリゲネスのアフリカヌスへの手紙()に出てくるオリゲネスとアフリカノスの同僚(友人)バッソスのことである。アフリカノスは、オリゲネスの学識への敬意から、敢えてバッソスを無知な人物と言ったと考えられる。

[3] これは、ダニエル書のスザンナの物語である。ヘブライ語聖書には、記載されていない。しかし七十人訳とテオドチオン訳にスザンナの物語がギリシア語に訳されているということ自体が、そのヘブライ語原文の存在を想定させる。今日では、その物語は、紀元前一世紀初めにアレクサンドロス・ヤンナイ治下(BC105-79)のユダで、ヘブライ語で作成されたことが一般に認められている。Cf.D.M.Kay, The Apocrypha and Pseudepigrapha of the Old Testament, t.1, Oxford, 1913, p.636-651.

[4] Cf.Suz.54s.

[5] evpi,pnoia profhtikh,

[6] アフリカノスがダニエルの霊感を問題にする背景には、当時のラビたちの伝承では、多少の動揺があるとはいえ、ダニエルは、霊感を受けた預言者ではなく、したがってダニエル書は、律法書(トーラー)や預言書(ネビーイーム)以外の旧約の諸書(ケスビーム)に含まれると見なされていたことにあるらしい。

[7] 特に断りのない限り、( )は、訳文を多少とも分かりやすくするための訳者の挿入である。

[8] フィリスティオンは、アウグストゥス帝(紀元前後)の時代に一世を風靡した劇作家である。ミモス劇は、踊りや身振りを主とする滑稽劇でパントマイムに似ている。

[9] Cf.Suz.54s., 58s.

[10] この一文は、オリゲネスなら上記の語呂合わせがヘブライ語原文にはない、したがってスザンナの物語りはヘブライ語原文にないことに気づいているはずだということを示唆している。

 

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