(b)ユダヤ人

 

 オリゲネスの講話には、ユダヤ人への言及が多く見られるが、それは、アレクサンドリアにおいても、本講話がなされたパレスチナのカイサリアにおいてもユダヤ人が多数いたからである。ユダヤ人との論争は、キリスト教の成立時代からあり、その論題は、ほとんど常に、預言とイエスの誕生から死、復活との関係、ユダヤ人に代わる異邦人の召命を巡っていたと言ってよい。特に異邦人の召命は、ユダヤ人の不信仰、エルサレムの陥落と神殿の消滅、預言者の不在、ユダヤ人の離散に関係づけられていた。  

 諸国の民の召し出しは、イスラエルの堕落にその起源を持っていました。使徒たちは、ユダヤの諸々の会衆に宣教しながら、彼らにの次のように言っています。「救いのみ言葉は、あなた方のために送られました。しかしあなた方は、自分たちを(それに)相応しくないものと決め付けてしまった。そこで私たちは、諸国の民の方に向かいます」(Ac.13,26.46)[1]  

 しかしオリゲネスは、ユダヤ人が実際には、神の救いから除外されてしまったとは考えていないし、救いは先ず異邦人に与えられ、その次にユダヤ人に与えられるとも考えていない。異邦人と言えども、罪を犯せば、救いから遠ざかってしまうのであり、神の救いの約束は、常に両者に向けられているのである。  

 この世にいる人間たちに関わる神の経綸は、特にこれら二つの民をめぐっています。あのイスラエルの民が、最初の民となりました。そしてキリストの到来後にこの民が第二の民なりました。最初の民に、神は脅迫を与え、そして脅迫しました。そして私たちは、最初の民に与えられた脅迫を見ました。最初の民は、捕囚となり、彼らの町は破壊されました。聖所は取り壊され、祭壇は投げ捨てられました。昔の聖なるものはもはや何一つ、彼らのもとに無事に残りませんでした。実際、神は、あの民に向かってこう言っていました。「あなた方は悔い改めよ。しかしあなた方は悔い改めなかった、と。前者の人々にこれらのことが語られた後、神はこの第二の民に向かって、それを建て直すことについて語ります。そしてこの民が再び誤りに陥りかねないのをご覧になります。それゆえ、この民に対しても脅かしをお与えになり、次のように言われるのです。すなわち私は、建設について、植え付けについて、耕作について、前に語ったが、この民までも罪を犯そうとするなら、私が諸々の罪のゆえに前の民に向かって言ったことが、この罪を犯す民に対しても降りかかる。彼らは、悔い改めないなら、苦しむことになる、と。あなたも、聖書全体をお調べください。そうすればあなたは、その大部分が、これらの二つの民について(いま)言われた事柄に関わっているのを見出すでしょう[2]



[1] Hom.Jr.IV,18.

[2] Hom.Jr.XVIII,5; cf.V,5; XV,5.

 

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