聖書

 

さてオリゲネスが目にしていた聖書は、どのようなものであろうか。アレクサンドリアでギリシア人として生まれた彼は、当然、ギリシア語を母国語とするから、彼の使っていた聖書は、七十人の訳者によってギリシア語訳されたと言われる旧約聖書(以下、七十人訳聖書)とギリシア語で書かれた新約聖書である。オリゲネスは、両書とも神からの霊感を受けて書かれた書物であると信じ、受け入れた。しかし彼は、旧約聖書に関しては、必ずしもギリシア語の七十人訳に縛られていはいなかった。彼自身は、あまりヘブライ語を知っていなかったらしく、聖書の正確な内容を把握するために、いわゆるヘクサプラ(六欄組聖書)を編纂した。これは、三世紀の聖書批判学の金字塔とでも言うべきもので、ヘブライ語の本文に対応する六つのギリシア語訳を六欄に併記したものである。その本文には、左から(0)ヘブライ語のギリシア語音訳、(1)アクィラ訳、(2)シュンマコス訳、(3)七十人訳、(4)テオドティオン訳、(5~6)その他のオリゲネス自身が発見した古訳が記載されていた[1]。『ヘクサプラ』の編纂の目的は、ヘブライ語原文とそれぞれのギリシア語訳との異同を一目瞭然にして、正確なギリシア語訳を策定し、ユダヤ教のラビとの討論に備えることにあった。オリゲネスは、このヘクサプラの必要な写し、あるいはギリシア語訳だけを併記したテトラプラ(四欄組聖書)を参照しながら講話の準備をしたと思われる[2]

 たとえばエレミア書講話XIX, 13では、エレミア書20,2として「パスコルは、預言者エレミアを打ち、彼を、上階のベニヤミンの扉にある穴に投げ込んだ[3]」という言葉が引用されている。しかしこのギリシア語原文は、七十人訳の対応個所と比較すると、明らかにヘブライ語原文に、より忠実なものになっている。さらにオリゲネスは、同講話XVI, 5で、エレミア書16, 18を扱うとき、他のギリシア語訳と比較しながら、七十二訳の欠陥を指摘している。

「私は先ず、彼らの不正と彼らの罪を二倍にして報いる。彼らが諸々の忌まわしいものの死体と自分たちの不正で私の地を汚し、私の嗣業を自分たちの不正で満たしたからだ」(Jr.16,18)と。この「先ず」という言葉を、ある人たちが何気なく写本から取り除いてしまったのか、七十人の訳者が経綸に配慮して取り除いてしまったのかは、神がご存知でしょう。しかし私たちとしては、その他の諸版と比べてみますと、「そして私は先ず、彼らの不正を二倍にして報いる」という言葉があるのを見出します。

 同様の例は、同講話XV, 5XVI, 3にも見出される。しかしこれらの類似の例の中で、最も注目に値するのは、同講話XVI, 10の発言である。

さて、次に、別の預言が存在します。私にはどういうわけか分かりませんが、私たちはそれを七十人訳に見出さず、むしろ他の諸版に見出しています。したがってそれがヘブライ語版にあるのは明らかです。

 オリゲネスが、この「別の預言」の存在を、他の諸版に一致して見出せることを根拠に、ヘブライ語原本に推測している点は、彼がヘブライ語をまったく知らないとはいえないにしても、それを完全に習熟していなかったことを如実に表している。同様の例は、同講話XX, 5にも見出せる。その他、オリゲネスが七十人訳にとらわれずに、記憶を頼りに聖書の言葉を反復したり、より分かりやすいように言葉を言い換えたりする箇所は、同講話の中に頻繁に見出される。

 もちろんオリゲネスは、講話を進めるに当って、エレミア書に関わるギリシア語訳だけを目の前にしていたわけではない。彼は、おそらく記憶を頼りに、エレミア書以外の聖書箇所を無数に引用している。しかしオリゲネスがエレミア書講話で特に好んで引用する聖書箇所は、モーセ五書、詩編(150篇中50)、マタイによる福音書、パウロ書簡である――このことは、当時の集会や教理教育において、これらの書が重要視されていたことを示しているように思われる――。これに対して、歴代志、マカバイ記、エズラ記、ネヘミヤ記、トビト記、ユディト記、エステル記は、まったく、あるいはわずかしか引用されていない。

 また彼は、手元に置いた聖書の諸版の読みに従わず、彼以前の著作家に共通する聖書の読みに基づくこともある。それは、エレミア書講話V, 14に引用されたヨブ記14, 4-5である。同講話ではこの箇所は、「穢れを清められている者は一人もいない。たとえその人の人生が、一日であっても(またその人の月日が数えるほどであっても)」となっている。しかしこれは、七十人訳――「誰が、穢れを清められているだろうか。たとえその人の地上の人生が一日であっても、誰も清められていない」――やヘブライ語原文にはなく、ローマのクレメンス[4]、アレクサンドリアのクレメンス[5]、ユスティノス[6]、テルトゥリアヌス[7]の諸著作に同じ形で引用されているのである。おそらくこのことは、初代教会において新約聖書と並行してイエス語録なるものが存在していたのと同様に、教理教育用に編纂された聖句集――いわゆる証言集(testimonia)――のようなものが存在していたことを暗示しているのかもしれない。



[1] Cf.P.Nautin,op.cit.302s.

[2] Cf.Eusebios, HE,VI,16,1-4.

[3] Jr.20,2.

[4] Clemens Rom., 1Ep.ad Cor. 17,4.

[5] Clemens Alex.,Strom.III,xvi,100,4(GCS.15,p.242,11); IV,xvi,106,4(GCS. 15, p.295).

[6] Justin, Dial.15, 7; 28,2.

[7] Tertulianus, Adv. Marcionem, I, 20(CSEL 47, p.316, 18); IV, 1(p.424, 15); V, 4(p.582, 14).

 

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