ヒエロニムスの序文

 

福音記者ルカについてのオリゲネスの講話における福者司祭ヒエロニムスの序文ここに始まる。

ヒエロニムスからパウラおよびエウストキウスへ

 

 あなた方は数日前、ある人たちの『マタイによる福音注解』と『ルカによる福音注解』をお読みになり、その内の前者は言葉も理解もお粗末で、後者は言葉を巧みに使いながらも、見解において眠っているとおっしゃいました。そこであなた方は、冗談はさて置いて、私たちのアダマンティウス(オリゲネス)による、ギリシア語で書かれた少なくとも三十九の『ルカによる福音講話』を私が翻訳するようにお求めになっています――トゥッリウス(キケロ)が言うように、自分の好みではなく他人の好みに合わせて書くのは、嫌なことであり拷問に似たものです――。しかしながら私は、翻訳を行うことにいたしました。なぜならあなた方は、私の身に余ることをことをお求めになっていないからです。実のところ、以前ローマの聖ブレジッラは、彼の『マタイによる福音注解』二十六巻と『ルカによる福音注解』五巻、更には『ヨハネによる福音注解』三十二巻を私たちの言葉に直すように私に懇願していたのです。そのようなことをする時間も力も私にないことは、あなた方には十分ご察しがつくことでしょう。ともあれ、あなた方のご決断とご要望は、私のもとで何と強力なものでしょうか。私は、(いま手掛けている)『ヘブライ語の諸問題』(の口述)を幾らか中断して、あなた方のお考えによれば有益なこの作品を――この作品は、その内容がどのようなものであれ、私のものではなく他人のものですが――口述することにいたしました。それというのも私は、不吉を知らせる烏が、自分自身は真っ黒なのに、何と諸々の鳥のありとあらゆる色彩で身を美しく飾り立て、鳴き騒いでいるのを耳にしているからです。そこで、その烏が(これらのオリゲネスの講話に)反対する前に、私は次の事実を確認したいと思います。すなわちオリゲネスは、これらの(ルカによる福音)講話では、子供のように骰子(さいころ)を振って遊んでいると。彼の他の諸作品は、成熟した大人の真剣な作品です。

 もしも望ましいものであれば、もしも私ができるのであれば、もしも主が私がラテン語に訳すのをお許しになり、私が以前に中断して放置した仕事を成し遂げたなら、そのときあなた方は次のことを認めることができるでしょう。と申しますよりも、むしろあなた方を通してラテン人の言葉は、以前は知られなかったどれほど多くの善益を、今や知り始めるようになったかを認めるにちがいありません。さらに私は、『マタイによる福音』に関する、極めて雄弁な人物であるヒラリウスによる注解と至福なる殉教者ヴィクトリヌスによる注解を、数日後にあなた方のお手元に届くように手配いたしました。それらは、文体は異なりますが、霊の唯一の恵みの下に著わされたものです。私がそうするのも、私たちの(アダマンティウスの)諸講話においても、聖書に対してどれほど大きな熱意にみなぎっていたかを、あなた方が知らないでいてほしくないからです。

 序文はここで終わる。エウセビウス・ヒエロニュムスによって毎主日に口述されたラテン語訳のオリゲネスの『ルカによる福音』についての三十九の講話、ここに始まる。  

 第一講話、ここに始まる。

 

 

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