第三十七講話

弟子たちによって、ロバの子が解かれたことについて[1]

 『ルカによる福音』で次のことが朗読されました。救い主が「オリーブ山に沿ったベテファゲとベタニアに来たとき、ご自分の2人の弟子たちをお遣わしになった」。それは、「まだ誰も乗ったことのないロバの子」――それはつながれていました――を解くためであったと[2]。このことは、単純な歴史よりもむしろ、より深い理解に属しているように私には思えます[3]。ロバがつながれています。どこにでしょうか。「ベテファゲとベタニアを前にして」とあります。両者の内、ベタニアは、「従順の家[4]」と解釈され、他方、ゲテファゲは、祭司の取り分である「両顎の家[5]」と解釈されます。実際、両顎は、律法に定められているとおりに[6]祭司たちに与えられました。ですから救い主は、「まだ誰も乗ったことのないロバの子」を解くために、ご自分の弟子たちを、従順のある所、祭司たちの取り分のある所にお遣わしになりました。



[1] Lc.19,33.

[2] Lc.19,28-30.

[3] Quod quidem mihi videtur magis ad altiorem intellegentiam quam ad simplicem historiam pertinere.

[4] Cf.Com.Mt.XVI, 15-18 (GCS 10, 532); Com.Jn.VI, 40 (GCS 4, 149).

[5] Cf.Com.Mt.XVI, 15-18 (GCS 10, 532); Com.Jn.X, 30 (GCS 4, 204).

[6] Cf.Dt.18,3.

 

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