第三十八講話

(イエスは)近づくと、都をご覧になり、都のためにお泣きになった」と書かれていることから、「諸々の鳩を売っているすべての人たちを追い出した」と言っている箇所まで[1]

 私たちの主なる救い主は、エルサレムに近づかれると、それを見てお泣きになり、次のように言われました。「もしも今日、お前もまた、お前にとって何が平和をもたらすかを知っていたら・・・。しかし今、それはお前の目から隠されている。なぜなら、諸々の日がお前に来て、お前の諸々の敵が防塁を築いて、お前を取り囲むからである[2]」と。語られた諸々の事柄は、神秘です[3]。私たちは、神がお示しになって、隠された事柄が明らかにされるように願いましょう。

 では、先ず、彼の涙について考察されねばなりません。イエスは、福音の中で語ったすべて至福を、ご自分の模範によって確証しています。ご自分が教えた事柄を、ご自身の証しによって証明しています。「柔和な人たちは幸いである[4]」と、イエスは言っています。イエスは、これに似たことを、ご自身について言っています。「あなた方は、私が柔和であることを私から学びなさい[5]」と。また、「平和をもたらす人たちは幸い[6]」とあります。私たちの主イエスの他に、誰が平和をもたらす人でしょうか。彼は、「私たちの平和」であり、「敵意を取り除き、ご自分の肉においてそれを滅ぼされました[7]」。「義のために迫害を受ける人々は幸いである[8]」とあります。



[1] Lc.19,41-45.

[2] Lc.19,42-43.

[3] 霊的な意味は、旧約聖書ばかりでなく、新約聖書にも見出される。『マタイによる福音注解』第10巻第1(GCS 20, 2)によると、「福音の諸書は、文字通りの意味で受け取られるべきではない。それらは、教育的な配慮に基づいて、単純な人々には単純なものとして現れる。しかし、より深く理解したいと望み、かつ、そうすることのできる人々にとっては、み言葉に相応しい諸々の教えがそこに隠されている」。Cf.De Princ.,IV, 2, 9 (GCS 5m 322); Hom.Ct.I, 4 (SC 37, 68); Com.Jn.XX, 36 (GCS 4, 375).

[4] Mt.5,5.

[5] Mt.11,29.

[6] Mt.5,9.

[7] Ep.2,14.

[8] Mt.5,10.

 

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