第七講話

「ところでマリアは立ち上がって、急いで山地に向かった」と書かれていることから、「言われた諸々の事柄が成就する」と言っている箇所まで[1]

 より善き人たちは、より劣った人たちの許に来て、その到来によって善益の幾ばくかを彼らに与えるものです。同様に救い主も、ヨハネの許に来て、彼の洗礼を聖なるものとします。マリアも、み使いのお告げによって、自分が救い主を宿し、その親戚のエリサベツも身ごもっていると知ると、すぐに「立ち上がって、急いで山地に向かい、エリサベツの家に入りました[2]」。実にマリアの胎内にいたイエスは、まだ母の胎内にいたヨハネを聖化するために急ぎました[3]。またマリアが来て、エリサベツに挨拶する前は、(エリサベツの)「胎内の子はおどり[4]」ませんでしたが、神の子がその母の胎内で示唆した言葉をマリアが語るや否や、(胎内の)子は「喜びおどりました[5]」。そしてそのとき初めて、イエスは、預言者(ヨハネ)をご自分の先駆けにしたのです。



[1] Lc.1,39-45.

[2] Lc.1,39-40.

[3] この講話は、アレクサンドレイア時代の『ヨハネによる福音注解』VI,49(GCS 4, 157-158)と平行している。

[4] Lc.1,41:exsultabit infans in utero.

[5] exsultavit infans in gaudio.

 

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