さこそ年も若く世に有りて家の内貧しからず、歎きをも知らぬ人の、称覚め(=寝覚め)も心やすく過ごすらんと、哀れにも痛ましくもぞ覚え侍る。春の花(桜花)の暖かなる風を迎えて、朝の霞に綻び(ほころび)あえると見えしも、夕べの嵐に誘われ、秋の月の晴れたる空に澄(すみ)上がるも、暁(には)別離の雲にかくれす。人の一生を思えば、風の前の塵、水の上の泡、有漏の身は、あるかと思いもあえぬうち、はや破れぬ。又、仏の「一切有為の法。夢幻泡影の如し」と説き玉うも、げにあらたなる金言哉と、後生の一大事にならでは、別の勤めも侍らず。いかにしても、三世の諸仏も慈悲の眦(まなじり)を回し球いて、浄土に導引き玉えかしと、是(=念仏)ならでは朝夕心に掛くる事もなし。

 

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