〔妙秀〕「如何なる者ぞと覚束なく思召すべければ、先ず、自らが上を知らせまいらすべし。過ぎにし世の乱れ、関ケ原の軍(いくさ)に、あいなれし妻(=夫)に後れ(おくれ)、あかぬ別れの悲しさに、同じ道の願いも侍りしかど、さすがに捨てられぬ命にて、今日までもながらえ、此の姿に成り侍りて、妙秀と申す者也。此の月頃は彼方此方と貴き寺々、知識達にも逢いまいらせ、御法談いかほど聞き進せ(まいらせ)候へども、心の至りも浅く、又、前業も拙き故にや、余に是こそと思いとる程の事も侍らず。然ば、御身も同じ思いの道より世を遁れ、道心深くばする由、其()人の知らせ侍りしかば、共に同じ哀しみをも語り合い進せば(まいらせば)、思いのやる方にもやと志して、是までは尋ね参りたり。又、此の次に(ついでに)、貴理師端の教えを少しなりとも語らせたまえかし。耳に落つる事もあらば、真の道に立ち入り、後の世の友とも成り侍らばやと、思い立ちたる志、浅(あさま)な覚しめしぞ」といえば、誠に主の尼も気色嬉しげにぞ見えけり。

 

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