華厳宗之事

 

11 〔幽貞〕さて、華厳宗は、一を判ずるには、五教を立つ。一つとは小乗教。是れ阿含などの諸の小乗経也。二には大乗始教。是は、解深(げじん)密教などの諸の大乗経、并(なら)びに瑜伽(ゆが)、唯識などの諸大乗論也。三には大乗終教。是は涅槃教など也。四には大乗頓教。是には別の教部もなく、諸の大乗の中に、即心是仏(そくいしんぜぶつ)の法門有るをば頓教とす。禅法など是也。五には大乗円経。是には花厳(=華厳)、法花(=法華)をきわめ、又、分かちて別教、同教と二つにすと見え侍り。『法花経』には開会(かいえ)とて、ひとしくゆるす(許す)心有るが故に、「同じく実なるが故に、同教と名く」と釈せり。ひとしくゆるとは何ぞとなれば、法花よりまえは、声聞、縁覚、菩薩の三を推し分けて、二乗は成仏せずと云いしか共、『法華』には、「汝等の行ずる所は、即ち菩薩道なり』とゆるしたれば、声聞も縁覚も菩薩も同じ頓、同じ実なるが故に、法華をば同教と云う。華厳とば、「此て別教一乗にして、彼の三乗と別なり」と釈して、華厳は彼(かの)声聞、縁覚、菩薩の三乗に別なるが故に、別教と云えり。さて、此の宗の所詮の理と云うは、性海果分、縁起因分、法体(=現象の本質的内容)を二つに分別せらるると也。性海果分とは、機教未分と云いて、悟りも迷いとも立ちむかわぬさき(先=前)なれば、説くべき様もなく、云うべきようもなき本来法爾(ほんらいほうに)とて、唯ありのままなる所也。此れ故、此処をば不可説と云えり。縁起因分とは、衆生の迷う機起こりぬれば、別にそれに向かう教えも出来たれば、説くべしと也。是を常に因分可説、果分不可説と云えり。此の心は、因分は説くこと可、果分は説くべからずと也。さて、何と説き初めたるぞと見れば、仏、最初の成道(=成仏得道・悟りを開くこと)とて、悟りを開きたる初め、彼の寂静樹(=菩提樹)の下にて明星を見て、天際(=天のきわ・地平線)に日上れば、月下るまでにて、別に謂れはなしと、万法を唯自成の理と打ち詠(=眺)め、万ずの隔てを云う物は此のこの心なれば、此の心の外に法はなしと云う所より。経の内、『如心偈(にょしんげ)(=唯心偈・破地獄偈)にも、「心の如く仏も亦(また)(しか)なり。仏の如く衆生も然なり。心と仏と及び衆生の是の三は差別無し。諸仏は悉く一切が心従()り転ずることを了知す。若()し能く是の如く解せば彼の人は真の仏を見ん」と説けるより事起こりて、此の心をうけつぐ華厳宗は、一切の法の事(=現象)(=真理)を円融して、さわりなしと心得侍り。事理を円融すると申す事とは、諸法の上に見えたる処。理とは、其の内にこもる性をば理と申す也。円融とは、事は事、理は理と隔てず、事も理も一つなるぞと云う事にて侍り。「色即ち是れ空、空すなわち是れ色」と云うも、また此の心にて侍るをや。事理円融の上、尚(なお)又、事事も円融し、理理も円融すと説かれたり。かようの理をしらしめんために、或いは金獅子のたとえをとり、或いは六相の義門をあげたり。金獅子の喩は、香象大師に、唐の則天皇后(=武后)と申せし后、「花厳大乗は、事多く文広ければ、たやすくしりがたし。近きたとえを以って、我にしめされよ」と有りしかば、大師承って、即ち、御前に、金にて作りたる獅子のありしを喩にして、華厳大乗を講せられしより起こり侍り。此の獅子には、頭もあり、尾もあり、目、口、耳、鼻もあり。此の五根(=五官)を別々に見れば、別々の五根。又、此の語根を以って、一つの獅子を金に作りなせりと見れば、只一つの金獅子の外には何もなし。其のごとく、一法界(=広大な一切世界)の内には、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏界の十界有り。此の十界を各々に見れば、獅子の五根を各々に見る如く、十界別々なれども、此の十界こそ、即ち、一法界よとみれば、諸根合わせて一つの金獅子なるがごとく、別の物にあらず。唯一法界也。六相義と云うも、是をしらすべき為の道にて侍り。されば、先ず、六相義を ば、 かようの図を以って、しめされたり。一つには、惣(=総)相とは、是の獅子也。二には、別相とは、五根の差別也るところ。三に、同相とは、彼の諸根共に(=五官全体)一縁起なる処。四に、異相とは、獅子の諸根、耳は鼻にあらず、鼻は口にあらざる処。五に、成相(じょうそう)とは、諸根和合せざれば、獅子の相をなす事あたわざる故に、和合の処を成相とせり。六に、壊相(えそう)とは、獅子の諸根、眼は眼にして耳にかかわらず。耳は耳にして鼻にかかわらず。己〱(おのおの)が体を守を壊相とは申す也。壊は破るるにて、なす(成す)のうら()なり。是皆、今申したる一法界の体を顕す獅子のたとえの再釈也。一法界と云うは、即ち、一心の異名と心得玉え。此の心、即ち仏也。この心、即ち空也。空は即ち無也。経にも「空即是仏」(空は即ち是れ仏なり)とあるは、何もなき処、即ち、仏と也。あら勿体な(=不都合な)の事や。是も亦、極め〱ては、例の物。地獄も天堂もなき処に住み高(=度く?)侍るぞ。

 

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