〔妙秀〕さて、其の日月の事をば、貴理師端には如何沙汰候哉。

幽貞。貴理師端の沙汰は、後に申すべし。先ず、次に、仏説の違いたる所を申すべし。されば、月日は須弥の腰を、北より東南へ向けて横へ回るといえり。須弥山なければ、此の事皆偽りと云いながら、先ず、 (ここ)には、須弥を有る物にして見る時は、横には回らず、明らかに東より出て、頭の上を通り、西に入る事は、朝夕見玉はすや。何しに横に回るとは説かれたるや。但し、「榎の実はなればなれ。木は椋の木、」と云いつれなれば、東より西へ回るとも、横に共(とも)云えし。さりとては、明らかに見えたる事を、あらぬように云いなす事、不思議成り。又、月の満ち欠けは如何にと云えば、月宮殿(げっきゅうでん)に三十の天人()有りて、十五人は青衣(しゅうえ)とて青き衣をき、今十五人は白衣(びゃくえ)とて白き衣を着て、朔(ついたち)より十五日までは、白衣の天人、一日に一人ずつ月の内に入るにより、青衣の天人、一人ずつ出て、月の光()円満し、十六日より晦(みそか)までは、白衣の天人一人ずつれば、青衣の天人一人ずつ入るにより、光()かけて暗くなると云えり。此の満ち欠け、貴理師端の学文には、月の体には光なくして、日輪の光をうけて輝く者也。然れば、日の天、月の天、別々なるによ()て、朔(ついたち)には必ず月が日の下に重なるに依りて、日の光を受けたれば、月に光なし。二日、三日によりは、はや、月が日の下を離れるによって、少しずつ日に向かう方に光あり。其の証拠いは、十五日までは、日輪()月に先立ちて西に入るに依りて、月は其の光を西の方よりうけて、東の方はかけ、十五日に当たる日は、正面に月、日()向かうに依りて、月の光も円満するに、又、十六日より晦日(みそか)までは、月が日に先立って西に入るによって東よりうくれば、東の方は月に光()有りて、西はかけて入り侍り、上弦の月、下弦の月と云うことにかなえり。

 

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