妙秀。月の満ち欠けの事は承りぬ。日蝕、月蝕の事は如何。

幽貞。是又、仏説を能()く聞き給え。先ず、仏の六道と云える事を立て玉えり。其の中に、修羅と云う者あり。修羅が内に、毘摩質多羅と云える修羅が、娘()舎脂夫人(しゃしぶにん)を、又、羅睺(らご)と云える修羅に契約(=結婚の契約を)しけるに、帝釈()是を奪い取って我妻とするによて、羅睺(らご)()腹を立て、帝釈の居る喜見城を責めんとす。されば、喜見城は須弥の頂きなれば、高さ八万由旬なるに、羅睺(らご)が身の長け八万四千、口の広さは八千由旬なるが、起きる時は身の長け二倍になって、十六万由旬と成りて、大海の中に立ちて、帝釈天を目の下に直()下ろし、日月は帝釈の大臣にて光を放つに、羅睺(らご)まばゆくして眼開きがたきに依りて、手を出して日月をつかむ也。此の時、光()くらくなるを、世上の人、蝕と云えり。須弥の事さえなき事なれば、かかる偽りを重ねたる事、是非に及ばざる事共也。さて、此の蝕の本説と申すは、日月の天、別々なれば、まわりあわせによて、有る事也。先ず、月蝕と申すは、月と日と同じ所に重なるによて、有る事也。十四日、十五日、十六日の間ならではなし。其の故は、此の時、月は東に有り、日は、又、西に有りて、日、月に真正面に向かう中に、世界(がそれらを)隔て、其の世界の影()、月に移る、是を月蝕と申す也。さて、日蝕と申すは、月の天は日の天よりも下なるによて、月が日の下に重なる時、日の光をおさゆる時節、くらくなるを日蝕とは申す也。かように申す分にて、分別有り難き事也。世界の図をも見て、次第に合点行く也。仏の説は、『具舎論世間品』に注(しる)と云えども、更に信じがたき事と、其の学者の人数も、あやぶむ事ばかり也。『具舎』とは、須弥山の南腹()青きが故に、其の陰が移りて虚空も青しと思えり。天とて、何も有る者にはあらず。月、日、星も、風に乗じて回ると云えり。月、日、星、風に乗りて回る物ならば、大風()西より起こりて頻りに吹かば、西の山瑞より東へ吹きやるべし。昔より今に(至るまで)、かかる例(ため)し、一度もなければ、風に乗じて廻ることまど申す事は、沙汰の限りの事也。三界建立の沙汰、何れも皆、此の類ばかりなり。

 

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