妙秀。さ様の道理を聞くときは、尤も(もっとも)、須弥の山もなき事と分別申したり。

〔幽貞〕げにも須弥の方に、日本、唐土、天竺と、三国ならびて有ると思う事は、皆うそにてある事は明白也。されば、仏法の沙汰には、天竺、唐土のさかいは、流砂(=トルキスタン砂漠)葱嶺(そうれい=パミール高原)の嶮難(けんなん)、わたりがたく越えがたき道也。葱嶺と申す山の、北西は大雪山(崑崙山脈)につづき、東南は海隅に聳え出でたり。此の山を界(さかい)て、西を天竺といい、東を震担(=中国)と名付く。道の渡る(=道のり)三千余里。草木も生せず、水もなし。銀漢(=天の川・銀河)に臨みて日を暮らし、白雲を踏みて天に上る。嶮難()多く有る中に、殊に高う聳えたる嶺あり。「罽波羅災難」(けいはらさいなん)と名付けたり。雲の衣を解き却(しりぞ)けて、苔の衣(=野宿すること)、山の岩のかどを拘(かか)へつつ、十月にこそ越えはつれ。此の嶺に上りぬれば、三千世界の広狭は眼の前に明らかに、一円浮提(いちえんぶだい=須弥南方の州)の遠近は足の下に集まれり。又、流砂と云う川は、水(=砂漠)を渡りては川原(=草原)を行き、川原を行きては水を渡る事、□(ママ)ヶ月のの間に六百三十七度(たび)也。昼は頸風(けいふう=強い風)吹き立て、砂を飛ばして雨のごとし。夜は妖鬼走り散りて火をともぼす事、星に似たり。白波漲り(みなぎり)落ちて巌石を穿ち、青淵()水巻きて木の葉を流す。設(たとえば)、深淵を渡ると云えども、妖鬼の害難遁れがたし。縦(たとえ)、鬼魅(きみ)の怖畏を免るると云えども、水波の漂難避けがたし。されば、海陸ともに、大権の薩埵(さつた=菩薩の化身)も卒爾(そつじ=にわかに)に往還しがたしと見えたり。さればにや、玄奨三蔵も此の界に趣(おもむき)て、命を失う事六度也。次の受生(じゅしょう=生を受けること)の時にこそ、法(のり)を渡し玉いたれなどと、事々しきように申せども、今日此の比(ごろ)は、京、堺の商人や、又は四国、西国の者ども、商買の為、支那四百州の外に、天竺国のはしばし、御朱印を申し受けて、毎年渡海するのみならず、剰え(あまつさえ)尺尊()入滅し玉いし跋提河(ばっだいが=中インドの河川)の辺りまでも、見て帰るなど申せば、かかる眼の前の虚説笑止やと、仏弟子の中に心有る人は、心中の歎きも、さこそ有るべけれ。されば、眼前にある日本、唐土、天竺三国のつづきさえ、あるにもあらぬ事をのみ云いおきたれば、ましてや俗界の地を離れて、色界、無色界などと云う事も、皆正体(=実体)なき事共也と、かつがつ(且々=少しずつ)思いとりたる上に、又、事を分かちて、かように語り玉う時にこそ、弥(いよいよ)なき事におとし付き(落し付き=納得し)侍れ。

〔妙秀〕さて、思いの外なる事哉。自らも知識達(=高僧たち)に聞き進(まい)らせし事共を、語り進(まい)らせて、同じくは仏の道にも引き入れ申さんとこそ思しに、今の分ならば、はや、そなたへ心移り行く事は、案に相違したる事哉。今日も暮れぬ。明日こと参り侍らめ、とて、其の日は帰りにけり。

 

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