釈迦之因位誕生之事

 

 妙秀。しののめの明くるを遅しと次()で立ちて、彼()の庵室に入りければ、幽貞。御約束を違(たが)い玉はで、能()くこと来たり玉い、とあれば、

〔妙秀〕其の御事にて侍(さぶ)ろう。昨日帰り進(まいら)せてより、御物語ありし事どもを、くり返し思案し侍れば、皆、理りとは思い乍ら(ながら)、三界建立の沙汰は兎もあれかし、仏の教えにて後生をだにも助からば、それまでにてこそあらめ、と思うはいかに。と有りければ。

幽貞。承り候様に、仏の教えにて後生の世をされ助からば、元より何の不足があるべきなれとも、それこそ、ならぬ事の第一にて侍れ。其の謂れ(いわれ)は、此の宗の出家()、常に語り玉いし事を、かたはし物語申し進らすべし。されば、先ず、仏の因位の事を『釈迦譜』に記されし分を申すべし。昔、中天竺、摩竭陀国(まかだこく)の主、淨飯王の后、摩耶夫人、或る時の夢に、白象の右の腋より体内に入ると見て、其の儘(そのまま)身重くなりて、十月にまして母の右の腋を破り、卯月八日に生まれ、則ち(すなわち)歩むこと七足を運び、右の手をあげて、「天上天下。唯我独尊」と唱え玉う。是を悉達太子(しっだたいし)と云えり。其の后、母の摩耶夫人は空しく成り玉いしかば、娣母(おば)の摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)に養い立てれれ、十七と申すに耶輸陁羅女(やしゆだらひめ)を妻と定められし。是を釈迦の由来と申し習わしたり。愚かなる人は、爰(ここ)にて、母の白き象を夢に見て懐妊なりし事、其の否実を糺さず。「天上天下。唯我独尊」と唱えし事をも、皆とうとき事と心得り。さても、知恵もなき愚痴の至りにてあらずや。理(ことわ)りを糺さず、人の書き置く事には、真も虚言もまじわるべしと思わぬ、あさましき事也。唐土の孟子と云う人の申されしは、「悉く書を信ぜんば、書無からんにしかじ」と。げにも、偽りも真もまじるべき事なれば、たださずしてかなわぬ道理なるを、ただ無理にとうとしと云うは、浅ましき迷いにあらずや。夢に象を見て妊(はら)みたればとて、とうとかるべきいわれなし。父母の右の腋をけ破りて出たればとて、何のとうとかるべき事やある。但し、母を殺したる、是やとうとかるべるべき。誠に謂れざる事也。又、「天上天下、唯我独尊」と云う事も、余りに我が身を慢気して、却って其の徳を失いたるにあらずや。真如は平等にして浅深、高下なしと申して、仏法には、取り分け尊き事も侍らずと説けり。禅の祖師に雲門と申す人は、釈尊の御事を、「黄面瞿曇(おうめんのくどん=釈尊)。傍若無人。我()往昔(おうせき)に生まれ合わせば、一棒に打ち殺して、狗子(くし=犬の子)に与えて喫っせしめて(=食わせて)、貴ぶらくは天下泰平なる事を見てまし」と云えり。是は愚痴なる人の有り難く思う事を、もどきて(=非難して)云える詞なるべし。又、耶輸陀羅女より羅睺羅(らごら)と云える一人の子を儲け、その身は年十九と云えるに、王宮を出て檀特山(だんどくせん)に入り、阿邏々(あらら)、迦邏邏(からら)と云う二人の仙人を師匠とし、六年カ間、難行、苦行し、竟(つい)に年三十にして中天竺、摩訶陀国の菩提樹の下にして、二月八日の夜、明星を見て悟りを開く。其れより後、五十年カ間説法をして、八十と云う二月十五日には、跋提河(ばっだいが)の辺(ほとり)、沙羅林の内にして涅槃に入り玉うと見えたり。然らば、是は人にて侍らずや。妻を帯して子を儲け、生まれつ死につしたるは、人とならでは云うべからず。たとえば、木、竹を切るににも、同じ木、竹にてはきらず、鉄の刃を用いて切る事明らか也。人の後生を助くるには、人の上なる御主ならでは叶うべからず。仏と申すは、早、人とは心得玉わで、光を放ち、照り輝き、色々この徳を有るように思う事は、皆僻事(ひがごと)にて侍る也。仏と云うな()をば、我が朝にて付けたる事也。其の謂れを尋ぬるに、善光寺如来の縁起に有りとて、或る人の語りしは、難波江に仏(=仏像)あり。(その)()(あたたか)にして、ほとおり気(=熱気)あるに依りて、和語にほとけとは申す也。おりの二字を中略して、ほとけとは申すとかや。天竺の詞には仏陀と申し侍るを翻訳して、唐土の詞には覚者と申す也。覚者とは、さとりたる人と云う事也。何事を悟りたるぞと云えば、畢竟空(ひっきょうくう)とて、極め極めては、仏とてとうとき者もなく、衆生とて拙(つたな)き者もなし。地獄も天堂も焉(いず)くに有るべきとぞ見開くを、覚(さと)りとは申す也。かようにさとる人有らば、誰とても仏ぞと申すが仏法の極めにて、更に別の事なし。

 

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