儒教之事

 妙秀。「官は一夢の覚むるが如く、話しは十年の書に勝る」と云えるは、山谷老人の言葉とやらん聞き侍るが、誠に身の上の様に思いしられてさうろう。過ぎにし司位(=官位)は、唯春の夜の夢に異ならず。又今、御身に逢い参らせて御物語を承ればこそ、仏法の奥義(おうぎ)をも聞きさうらえ。蛍を集め雪を積みても、是はたやすく知るべきことに侍らず。然れば早、畢竟空無に帰するを本としてそうらえば、邪見なる事をわきまえてそうろう。扨て(=さて)、唐土には仏法などをば異端と云い、其の教えに順うをば、唯自害などをする様に思い、以ての外に嫌い、儒道とて、天道をあおぎ貴ぶと聞き侍る。此の天道と云えるは如何なる事にてそうらうや。キリシタンの教えは此の儒道にも替り侍るや。

 幽貞。仰せの様に仏法は善悪不二、邪正一女と云い、棄恩入無為(=恩を棄て無為に入る:三界流転の印ねたる恩愛を棄て、無為の境地に入る)と立てたる物にてそうらえば、道の行わるべき様もなし。寂滅の教えと是を云い、沙汰のかぎりと儒道には嫌いそうろう。去れども儒道もキリシタンの教えには及びそうろわず。然れば其の天道とは何を羌(=差)したる物ぞと云えば、太極(=宇宙の本体・万物生成の根元)を差(=指)しての事にてそうろう。さて、此の太極とは又何としたる物ぞと申すに、是に付き、昔より色々の云い事が侍り。老子経に、「道は一を生じ、一は二を生じ、三は万物を生ず」(老子道徳経)と云えり。道とは何ぞなれば、虚無の大道とて、無一物の所、此の無一物の所より一を生ずると云うが、此の大(=太)極の一気の事。此の一つより二つを生ずるとは、太極の一気が陰陽と分かるる処。二が三を生ずるとは、此の陰陽より天地人の三才と分かれ出で、三が万物を生ずとは、此の天地人の三才よりあらうる(=あらゆる)物は出来ると云う心ろにて侍り。然るに、儒者は、道が一を生ずと云う彼の道を、太極より前に各別に是を立てず。「太極は則ち無極、無極は則ち太極」とみて、畢竟、太極を本(=根本)とあせる物にてそうろう。去れば、此の太極とは陰陽未分の所を申しそうろう。渾沌未分と云うも、天地陰陽の分かれぬ重なりを云えり。易(=易経)の序にも、「意に太極有り、是より両儀(=天地・陰陽)を生ず。太極とは道也。両儀とは陰陽也。一は道也。太極は無極也」と云えり。去れども、此の分(=程度)にては未だよくわきまえ難くおわせんまま、おろかなる喩えを以って語り参らすべし。譬えば、先ず茲に(=ここに)寒熱等のやまいをいやす万づの薬の種々入りたる一つの櫃ありと思い玉え。去ば此の櫃の諸薬はあれども、ふたとみ(=蓋と身)を開きて、二つになさざれば用所なき器也。然れば太極をば此のふたとみの未だ合して有る櫃と心得玉え。蓋はふた、身は身と開きたるをば、太極が両象を生じて陰陽の二つと分かれたるになぞらえて分(=弁)まえ給え。又、打ちの薬を合わすに百の病をいやすは、陰陽が和合して万物とは成るのたとえと思し食せ(=思し召せ)。爰(=ここ)を以って見れば、畢竟、太極共と云え、又は天道とも申せかし(=〜と言ってもよいが)、陰陽の二つには過ぎず。

 此の故に朱子大全の中にも(朱熹『朱子文集』巻七二)、蘇氏が易の彖(=たん:易の卦の解釈)の言葉を釈するに、其の説の非(=ひ)成る事をば破して(=間違っていることを論じて)、「一陰一陽の謂れ(=いわれ)は道也。是に継ぐ者は善也、これに成す物は性成(=也)」と有る所を、蘇氏は注開(=注解)して、「陰陽は果たして何物ぞや、婁曠(=るこう)が聡明有りといえども、其の髣髴(=ほうふつ:おぼろげな姿)を得る事能わず。陰陽はまじわって然る後に物を生ず。物が生じて然る後に象(=形象)が有る。象が立ちて陰陽が隠る。凡そ(=およそ)見るべきは皆物也。陰陽にはあらず。然れば陰陽を云いて、(陰陽が)有る事なしとせんは不可也。至って疎か(=愚か)成る物も、此の陰陽の有る事をば知れり。此の陰陽なくんば、何に(=いかに)として万物は生ずべきやと思う心を本として、疎か(=愚か)成る人は生じたる物をさして是を陰陽と云うが、是は非也。陰陽は見るべき者にあらず。陰陽の髣髴を見ざるとても、是有ることなし[]と云わんは、皆な惑える成りといえるを、愚が謂らく(=ぐがおもえらく:私・朱子が思うに)、陰陽は天地の間に満ちて、其の消息(=移り変わり)、闔闢(=かうへき:開閉)、終始、万物触眼の間(=万物が目に見える間)は、形ち有るも形ち無きも、是非ずと云う事なし。然るに蘇氏は象を立て、陰陽が隠るを、見るべき物は皆な物也、陰陽には非ずと云ば、其の理を失する也。陰陽のもと(=本)に連なれば、固(=まことに)、生ずる物をさして是を陰陽と云うには非ねども、又別に陰陽を物象見聞(=物の形や見聞)の外には求めず」と謂いて(=いいて)、右の蘇氏が説を破(=論破)しさうろう。又、蘇氏[]言葉に、「聖人は、道の云いがたき事を知る故に、陰陽を借りて、一陰一陽の謂れは(=意味は)道也と、云えり。一陰一陽とは、陰陽未だまじわらず、物の未だ生ぜざる所也。道に譬えるの似(=に)、是よりも蜜(=適当)成るは無し。陰陽一たび交わって物を生ず」[]云うを、又、朱子は、「愚(=私・朱子)が謂らく(=思うには)、一陰一陽の往来やまざるは、道之全体を挙げて云う事、是より明か成る物なし。然るに陰陽を借りて道に譬うるの似(=に)とせば、是道と陰陽と、かつかつ(=各々)に一物と成して、彼に譬うる也。陰陰(=陰陽)の端(=端的な有り様)は、動静の機のみ也。「動極まりて静し、静極まりて動す」。故に陰の中に陽有り、陽の中に陰有りて、未だ独立して独り居する物には非ず。是は一陰一陽の道たる故也。然るを令(=今)、蘇氏は、一陰一陽と云うは、陰陽未だまじわらず、物未だ生ぜざる重なり也。此の所が道に似たる物なりと云えり。然らば則ち、道は果たして何物ぞや。是は皆、道を為す故を知らずして、虚無寂滅の学を以って揣撫(=揣摸)来て(=推し量って)、是を云わんと思う故に、その徳(=説く)如此くし(=かくのごとし)」と云いて、蘇氏が言う寂滅を破れり。亦は儒者の心得は、「陰陽は則ち太極、陰陽は則ち天道」と[落着]せる事、分明に侍る。

 然れば、爰に不審がそうらろうぞ。陰陽は無心無智の物にて侍れば、和合離散の用(=作用)は、自ずからあるべき事に非ず。さきに申しつる譬え、薬種の入りたる一つの櫃のふたはふた、身は身と開くためにも、智恵分別のそなわる人の無くば何にと開くべきぞ。太極の陰陽が合して無心無念にして有りし所、陰陽の二つに開くるも、其の開きて無くば何と開くべきぞ。其の上、彼の櫃の中成る薬種が、寒熱の性はそなわって有っても、病によって方(=処方)を施すの人が非ざれば、自ら(=当然)是も合薬(=適薬)と成る事能わず。故は是も無念無想の物なれば也。去れば万物の生ずるを見そうらうに、何れも地水火風の四大(=一切を構成する四元素)と五行(=陰陽五行)が和合して物と成る。只(=ただ)、和合するに難からぬ薬種さえも、おのれにそなわらぬ智恵分別なれば、自らいざよりあいて、十全大補湯(じつぜんだいふとう=強壮剤)と成らん、藿香正気散(かくこうしょうきさん=解熱剤)とならんとて、独り和合する事かなわぬに、ましてや剋して(=互いに拮抗して)和合しがたき水火金木の独り寄り合いて松の一本共、竹の一本共成る事かなうべからず。然る時は、陰陽を以って天道と云い、万物を出生するの根源と云うは、寒熱等の性のそなわりたる薬種が独り寄り合いて、正気散共、大補湯とも成ると云うに似たる。此の事かなうべからず。

 

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